「PEACE]展が終了しました。
今回の作品群を制作することになった成り行きは前述しましたが、結構まとまりのない話で困惑した方もおられたのではないかと思います。
実は、同時に記述するとさらに混j乱しそうだったもので仕方なく省いた話がもうひとつあります。 是非お知らせしたい内容も含まれていますから、ここで紹介します。
1995年、さだまさしさんの呼びかけで発足した「ナガサキピーススフィア貝の火運動」という団体があります。2002年にNPOとして認可を受けた後、ナガサキピースミュージアムを建設・運営しています。
http://www.nagasakips.com/index.php
「貝の火」というのは宮沢賢治の童話のタイトルで、子兎のホモイを主人公にして、慈しみの大切さを描いた作品です。神様から善行の褒美として授かった「貝の火」ですが、ホモイは増長してたったの6日でその火を消してしまいます。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/1942.html
NPOナガサキピーススフィア貝の火運動は、この「貝の火」を消さないように平和運動を続けていくことを目的にしています。うさぎはこの団体のトレードマークとしても使われています。
僕の「PEACE」展用作品制作においては、動物たちにピースをさせながら、ホモイのこと、ホモイの両親のこと、ホモイを騙すキツネのこと、最後に登場するふくろうのことを考えました。
そして長崎に落とされた原爆のことも。
デザイン・アートの人気ブログランキングに参加しています。
ポチッと応援の一票を入れてくれたら嬉しいです。
最近の日本人の脳天気ぶりに怒っている人たちが、思いのほかたくさんいることを最近知りました。
例えば昨年来メディアで騒がれている田母神前空幕長は、自身を「面白い人、良い人なんです」と言ってますが、彼が出演したテレビ番組を見ていて、その温和そうなみかけとは裏腹に、彼の心の内側では、湿った怒りの感情がどす黒い暗雲のごとく渦巻いていることを想像できました。番組中の彼の発言を要約すると「日本の領海に侵入した船は即座に沈め、領空を侵した航空機は残らず撃ち落さなければならない。日本は、外国から馬鹿にされないように核武装をするべきであり、有事の際には核による報復を行うのが当然」というものでした。
田母神前空幕長の発言を批判する政府関係者やジャーナリストは大勢いますが、逆に彼を擁護し、わが意を得たりとばかりにその発言に自身の発言を被せて勢いづく人々もたくさんいます。その人たちは皆口をそろえて大多数の日本人が「平和ボケで自虐的」になっていると言います。田母神氏の主張することこそ正論であり、それがわからないような人間は非国民であり脳天気も甚だしいと非難しています。
長女の卒業式では、日の丸が掲揚され君が代が歌われたそうですが、そこで生徒は1人も起立せずほとんど歌いもせず、教師や来賓の大多数も同様の態度だったそうです。後日父母の間から、何故国旗・国歌に対してもっと尊敬を払わないのか、教師が手本を示すべきではないのか、生徒を強く指導すべきではなかったかという批判があったという噂話を聞きましたが、その件で先生方が話し合ったり、生徒が反省したとかいうことはないようです。
それはそうでしょう。式の後で撮った写真を見れば一目瞭然です。生徒も教師もただ意味もなくピース!信念・信条を持った人間にこのポーズはできません。おそらく田母神氏は、これまでの人生でピースサインなど一度もしたことがないのではないでしょうか。
イギリス人には尊厳、ドイツ人には規律、フランス人には自由、アメリカ人には英雄的行為という信条つまり固定的価値観がありますが、日本人には何があるでしょう?何もないというわけではありません。あらゆる信条や決まりきった価値観にとらわれない柔軟さと、すべてを受け入れる寛容さ、誰にでも合わせられる協調性を持っています。
平和ボケと言いますが、ボケるほど平和な国が他にどれだけあるでしょうか。長い間戦争に関わってこなかったことは誇りに思うべきことと思います。戦争をしてないことに危機や引け目を感じたり、戦争に加担する義務を説いたりする意味がわかりません。女子高生達に言ったら「意味ワカンナイ」と言われること間違いなしです。周囲の国を敵または劣等とみなし、馬鹿にされないために相手を殺害したり、核で武装しなければならないとする理由も「意味フメー」です。
日本が戦争中に行った侵略行為や残虐行為はなかったことにしようとか、他の国もやってたから日本だけが悪いわけじゃないとか、それを謝るのも事実を子供に教えるのも自虐的だなんて「わけワカンナイ。性格悪ぅ~」。
脳天気でいいじゃありませんか。どす黒い怒りの暗雲立ち込め、じめじめと湿って敵対心をくすぶらせ続けているような脳よりずっとまし。スカッと晴れていつも青空、ポカポカ陽気で浮かれていた方が人生は楽しく過ごせます。
人質の命を最後まで守ろうとする日本人、領土を侵犯されても追い払うだけの日本人、仏壇の隣にクリスマスツリーを飾る日本人、被災地で暴動も起こさず配給の列におとなしく並ぶ日本人、サッカーで負けても相手チームを称えておとなしく帰る日本人、車で事故を起こしたとき名刺の交換をしてにこやかに別れる日本人、仕事ばかりしてるかと思ったら、ゲームやカラオケ、アニメにコスプレ、遊びも大好き日本人。国民性ジョークで馬鹿にされてるのに一緒に笑える日本人。外国人には奇異に見られても、僕はそんな日本人が好きです。
最近長女がウサギを飼い始めました。
ウサギの顔をじっと見ていると、「なんにも考えてないなコイツ」と思ってしまいます。
食べて寝て、時々遊んで、多分かわいがられるのが仕事です。
.

まずはウサギでピース!他にも色々作ってみました。
明日3月17日から22日まで、
ウッドいのうえにて「PEACE」展を開催します。
.














デザイン・アートの人気ブログランキングに参加しています。
ポチッと応援の一票を入れてくれたら嬉しいです。
今月初め、長女の高校卒業式がありました。
僕は出席しませんでしたが、式の後教室などで長女が撮った写真を見せてもらうと、どの写真もすべて,女子も男子も先生までもがピースサインで写っています。卒業式だからというわけではありません。普段からそうなのです。
カメラを向けられたら反射的に”ピース!”とやってしまうその無意味な習慣をやめさせようと思って、一年ほど前に長女を説得したことがありました。僕の話はピースサインの歴史から始まって・・・
ピースサインにまつわる話でなんと言っても有名なのは、第二次大戦中、当時のイギリス首相ウィンストン・チャーチルが演説中に行ったもの。1945年の戦勝記念演説の際の写真が残っている。但しこれはピースサインではなく、「V-sign 」であって、Victory(勝利)を示している。
同じ動作がPeace(平和)の意味に変わったのは、それから15年後、ベトナム戦争以降のこと。アメリカの反戦運動とそれに呼応した日本の反戦運動においても、しきりにピースの言葉を使い、「ピース」と言いながら運動の勝利をアピールして二本指を立てる動作「V-sign」を繰り返したため、日本では「ピースサイン」と言われるようになった。これは日本だけの現象であり、西欧ではいまだに「V-sign」と呼ばれている。
それがさらに写真に撮られるときの決めポーズとなったのは、まだベトナム戦争の真っ最中、1972年のコニカカメラのCMがきっかけ。タレント井上順氏の出演で、「ハイ、チーズ」と言いながらシャッターボタンを押して、最後にピース!ピース!とやっていた(と思う)。
それ以来日本中で、写真を撮るときには必ず「チーズ」と言うようになり、長い間続いて定着していたが、いつの間にか「チーズ」がなくなって、「ピース」のポーズだけが残った。
二本指を立てて相手に示す動作はかなり古くから世界中に存在しているが、大抵は挑発や侮蔑の意味に使われるもので、むやみに使うと誤解を招くおそれがある。特に最近の中高生がやっている「裏ピース」、相手に手の甲を向ける動作が危ない。
・・・と、僕の長話をひととおり我慢して聞いていた長女は、「めんどくさっ!」と言い残して去っていきました。
なんという脳天気ぶり。信念がない。疑問を持たない。みんながやるから自分もやる・・。
皆がやってるから自分もやる、皆が持ってるから自分も欲しい、どうも日本人のメンタリティーには「皆が」という価値観が強過ぎるようで、それが外国からは奇異に見える数々の日本特有の現象を引き起こしているようです。
「国民性ジョーク」って知ってますか?主に西欧社会で広まっている笑い話の定番ですが、様々な国の国民性を比較してからかったり馬鹿にしたり、かつてはほとんどイギリス人、ドイツ人、イタリア人、フランス人など西洋人が出演者の中心でしたが、アフリカ人や中国人が出演することもあり、20年ほど前からは日本人の出番がやたら多くなりました。しかも大抵は最後の落ちに使われるというたいへん名誉ある地位を獲得しつつあります。
代表的なジョークをひとつ;
大海を航海中の豪華客船で火災が起きました。一刻を争う事態に、船長は様々な国の乗客を即座に海へ飛び込ませなければなりません。そこで船長は次のように言いました。
イギリス人には、「ここですぐに飛び込むのが紳士です」
ドイツ人には、「飛び込むのが規則です」
イタリア人には、「今飛び込むともてますよ」
フランス人には、「あなたには飛び込む自由と権利があります」
アメリカ人には、「今飛び込むのはヒーローだけです」
そして日本人には、「皆が飛び込んでます」
このジョークにはたくさんのバリエーションがあります。そのうちのひとつ;
大海を漂流する救命ボート。イギリス人とドイツ人とアメリカ人が1人ずつと日本人が3人乗っていましたが食料は3人分しか残っていません。
イギリス人が,「紳士たるものここで犠牲になろうではないか」と言って海に飛び込みました。
それを見ていたドイツ人が,「次に私が飛び込むべきであるのは明白な事実である」と言って飛び込みました。
アメリカ人は,「先を越されてしまったが、今からでもヒーローになれるだろう」と言って飛び込みました。
残った日本人3人は、言葉が理解できず何が起きているのかわかりませんでしたが、皆が次々と飛び込むので、3人で相談の上、一緒に飛び込みました。
とまあこんな調子で、国民性ジョークの最後に出てくる日本人はいつも、周囲の様子をうかがったり、皆で相談したり、会社に連絡して支持を仰いだりと自主性がないことこの上なく、日本人が国際社会でどのように見られているかということを如実に表しています。
以前はそういう日本人像を嫌って、少なくとも自分だけはそういう人間になるまいと強く思いましたが、困ったことに最近の僕は変ってしまいました。
世界中どこへ行ってもみんなでピース!、バッキンガム宮殿の前で、エッフェル塔の下で、ホワイトハウスの前でも万里の長城の上でも写真を撮りまくってピースとやってる脳天気な日本人が結構好きなのです。
デザイン・アートの人気ブログランキングに参加しています。
ポチッと応援の一票を入れてくれたら嬉しいです。
先々週、千歳空港から羽田に着いて横浜までバスで移動しながら気がついたのは、マスクをしている人がやたらに多いことです。3人に1人、いや2人に1人くらい、近頃流行の立体マスクをしていました。こちらでもインフルエンザが流行ってるんだな~、それとも予防してるのかな~なんて思いながら見てました。
後日、それがインフルエンザ対策ではなくて花粉症対策だということを教えられました。今この時期,本州以南では杉花粉が飛び散る季節で、アレルギーの人にとってはたいへん苦しくいやな季節のようです。
北海道には杉の木がほとんど生育しないため、杉花粉症も存在しません。そのためこの時期、スギ花粉症避難ツアーなんてものも企画されているそうです。
さて話は変わりますが、横浜最後の夜、スタッフとの展覧会打ち上げ会の後にラーメン店に連れて行ってもらいました。札幌ラーメンのうまい店があるというのです。「でも本場の人が食べてもおいしいと言うかどうか・・・」という弱気の発言を聞きながら、僕は僕で内心気を遣い「まずかったらどうしよう。何より札幌ラーメンとは似ても似つかない代物だったら何て言おうか・・・」なんて酔った頭で考えながらのれんをくぐりました。
結果はOK、心配には及びませんでした。
それどころか、なかなか札幌でもお目にかかれないような立派な札幌ラーメンでした。
海苔が立っていたりするみかけは少々現代風ですが。
横浜市上大岡駅近くの「親(しん)」という店です。
札幌ラーメンといえば味噌ラーメンと思っている人は結構多いと思います。しかし、味噌ラーメンは比較的新しく昭和30年頃に考案されたもので、一般に広まったのはそれから10年後くらい、僕は小学生高学年のときに初めて食べました。それまでは、醤油ラーメンしかなかったのです。
僕が子供の頃、よく親に連れて行ってもらったのは、すすきのにあった「龍鳳」というラーメン屋で、のれんをくぐってカウンターに座ると、注文しなくともラーメンが出てきました。メニューはラーメンのみ、お子様ラーメンも大盛りもなく、客の好みなど効いてくれる気配もありませんでした。
「龍鳳」のラーメンは、透明感がありながら黒々とした醤油色のスープ、鶏と魚介系の味がして、とんこつ臭さは感じられませんでした。麺は細めの少し縮れた麺で、かなり硬めの茹で加減だったと思います。横浜の「親」のラーメンに良く似ています。
もう一箇所、僕が幼児の頃から通っていたのは、母親の実家近く二条市場内にあった「だるま軒」です。ここも当然ラーメンの味は醤油のみでしたが、「龍鳳」より色が薄いスープで、麺は縮れて透明感のある独特のものでした。具として、麩と硬めのチャーシューとしな竹、鳴門、ほうれん草がのっていました。
ある時ラーメンの歴史が書かれた本を読むと、戦後の札幌ラーメンのルーツは「龍鳳」と「だるま軒」にあると書かれていました。それじゃ僕の札幌ラーメンに対する認識は、かなり正統派に近いと言っても良さそうです。
「龍鳳」も「だるま軒」も現存していますが、残念ながら僕の記憶にある味とは全く別物のラーメンになってしまいました。どこかに昔の札幌ラーメンそのままの味はないものかと常に捜していますが、札幌市内ではほとんど皆無と言ってもいいくらい見つかりません。
そんな中で、現在僕が一番昔の札幌ラーメンに近いと思う店を紹介します。
札幌から車で1時間ほどのところの岩見沢市栗沢町にある「醤油屋本店」という店です。
昭和30年の創業で、現在の店構えも中の調度も、もちろんラーメンの見かけも味も、昔のものを今に伝えようとする熱意が感じられ、「そうそうあのころはそんな時代だった」なんてうなづきながら美味しくラーメンをすすることができます。
羽田から飛び立って1時間半、千歳の上空から地上を見ると圧倒的に緑が多く、その間に点在する建物と、それらを結ぶまばらな道路を走る車の少なさが目につきます。羽田上空からの眺めとの何という違い・・・。
しばらくぶりに東京へ行くと、ひしめき合って生きるその活力に圧倒され、羨ましく思うことがあります。そこから帰って来て見る北海道の風景は、あまりに寂寥として物悲しくさえ見えてしまいます。
しかし昨日の新聞には、もっとも鉄道で旅行したい所は?というJTBのアンケート結果が載っており、スイスを抜いて北海道が一番でした。
北海道に憧れる人たちと、北海道に住む人たちの温度差は大きなものですが、この温度差をいかにして縮めることができるのか、北海道のいいところを守っていけるのか、北海道を旅したいという人たちの期待に僕たち北海道人は本気で応えようとしているだろうかと、時折考えます。
味噌ラーメンが札幌ラーメンの代名詞になるなら、それも新しい伝統、致し方ありません。しかしラーメンにコーンやバターや牛乳を入れただけで、”北海道らしい”なんていうのは安直過ぎないか?と思うのですがどうでしょう。
デザイン・アートの人気ブログランキングに参加しています。
ポチッと応援の一票を入れてくれたら嬉しいです。

ボザール・デザインビューローは
モンゴルにマツの植樹を行うことで
地球温暖化防止に貢献しています