トイレの神様ーその5-

2009年08月31日

ステンドグラス トイレの神様

トイレの思い出話がすっかり長くなってしまいました。
肝心の仕事の話ですが、T家にすべての作品を持っていって選んでもらったところ、家族間で話し合って最終的に決まったのはこの作品です。
これは11点中最後に作ったもので、最も抽象的な表現でした。

ステンドグラス トイレの神様小さな作品ですが、周囲の雰囲気が変わったような気がします。
普段から来客が多く、時々外国人学生のホームステイも受け入れているT家にふさわしい、ちょっと陽気で抽象的な神様でした。

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ステンドグラス トイレの神様

三女の作った神様はどうしようかと思っていたら、妻の実家のトイレの窓が同じサイズでした。

三女が言うには、これはカエルじゃないそうです。
「頭が三個つながってるけど体がないでしょ」
なるほどその通りです。
こういう姿のやっぱり神様なんだって・・・。
ん~、子供の考えることはよくわからん。
わからないところがすばらしい!
天才!

親ばかでした。

ステンドグラス トイレの神様親ばかの上を行く祖父母の感想は、
「えっ!これ自分でつくったの!?」
「ホントに?」
「いやーすごい!」
「さすが!」
「たいしたもんだ!」

感嘆符の連続でありました。

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トイレの神様ーその4-

2009年08月26日

僕と同年代の人なら、トイレに関する記憶はだいたい似通っているはずです。
子供のころの汲み取り式便所、少し後には和式便器を使った水洗便所、大人になって洋式便座を使った水洗便所、という変換を経験していますが、洋式便座を初めて使ったときの妙な抵抗感を覚えているでしょうか?
便器に直接すわるなんて・・・という感覚があったと思います。

1975年に初めてフランスへ渡ったとき、外国暮らし初心者の日本人が数人集まると、決まってトイレの話題になりました。
最初に行ったディジョン大学のトイレは、いわゆるトルコ式と言われる型で、平たい陶板の一箇所に穴が開いていて足を乗せるところがわずかに高くなっています。僕の幼少期に普通に見られた長屋系便所の型式とよく似ています。
ただディジョン大学ではその形で水洗だったので、しゃがんだまま水を流すと、足元全体に水が回って、くるぶしの辺りまで水浸しになってしまいました。水タンクのレバーを引くと同時に素早く脱出しなければならないのです。

当時はまだ洋式便座にに慣れない日本人も多く、フランスに来て初めて使うという人も珍しくありませんでした。そういう人にとってはトルコ式の方がまだ使い易かったようで、洋式便座の使い方がわからず、逆向きに座っていたとか、便座の上に足を乗せてしゃがんだり、直接座るのがいやで中腰のまま用を足しているとか、色々な人がいました。

2ヵ月後カン大学へ行ったとき、大学からホームステイを勧められました。
本当はアパートを借りて気ままな一人暮らしをしたかったのですが、適当な場所が見つからず、仕方なく仮の住まいのつもりで受け入れました。
ステイ先へ行くと感じの良い老夫婦が満面の笑みで迎えてくれました。アパートの中へ入って、まだ部屋も見ないうちに真っ先に連れて行かれたのはトイレでした。
フランスの一般家庭のトイレを見るのは初めてのことでしたが、緑とピンクの壁紙に花模様のタオル、小さな花瓶に生けられた一輪の花、楽しそうに踊る陶器の人形たち、まるで1枚の絵を描くかのように美しく飾られた小部屋でした。
日本の”便所”と、フランスの”トワレット”の違いを見せ付けられる思いがしました。
仏語の”toilette”は、トイレの意味よりも化粧とか身だしなみの意味合いの方が強い言葉です。日本語で”化粧室”ということがあるのは、ここからきているのでしょう。
今では日本でも、フランスに負けないほど綺麗なトイレの家庭が多いですね。

老夫婦は僕にトイレの使い方を事細かに説明してくれました。
後でわかったことですが、僕の前にも日本人を一人受け入れたことがあって、その日本人が便座の上に逆向きに乗って用をたすタイプだったらしく、老夫婦はそのことに、かなり日にちが経ってから便座の上の足跡で気がついた、ということでした。

フランス ホームステイ m.etmmeこの老夫婦はルヴェルジョワ夫妻といいますが、僕は結局このルヴェルジョワ家に1年間お世話になりました。
その1年の間に、トイレの使い方に限らず、フランスの日常生活における習慣や常識、決まりごと、ものの考え方、歴史や文化など、ありとあらゆることを夫妻より教わりました。
その体験は、その後5年間続いた僕のパリ生活の貴重な礎となりました。

このデッサン画は、僕が夫妻にプレゼントしたものですが、今見るとちょっと下手ですね。

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すてんどぐらすトイレの神様 フランス子供のいないルヴェルジョワ夫妻とは、僕がパリにいたときはもちろん日本に帰国してからもずっと、親密な交流を絶やすことがありませんでした。
それは互いに親子と呼び合うほどでしたが、ムッシューが80歳を過ぎて突然に亡くなり、一人になったマダムはアパートを引き払って老人ホームに入居しました。

その老人ホームに家族全員で面会に行ったのはちょうど10年前のことになります。マダムは初めて会った”嫁”と”孫娘たち”の手を握り締めて、たいそう喜んでくれました。

その後誕生した三女を加えて家族全員でまた会いに行くから、という約束を果たせないまま、マダムが亡くなったという知らせを老人ホームから受け取ったのは数年前のことです。
ホームからの手紙には、マダムは亡くなる前の数日間、僕がルヴェルジョワ家にお世話になっていたころの話をしきりに繰り返し、”あのころの私はなんて幸せだったのでしょう”と言っていたと書かれていました。

”トイレの神様”に思いを巡らせている内に、トイレの壁紙の前に立つ出会ったばかりのムッシュー・ルヴェルジョワの姿を思い出しました。
長身でお洒落でいつもすまし顔の、思いやりに満ち溢れた人でした。

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トイレの神様ーその3-

2009年08月21日

便所で神様と目を合わせたのは真夏のことでしたが、その年の冬、さらに神様を信じるに足る決定的な事件が起きました。

すでに雪がたっぷりと積もった真冬の夜中、一人きりで便所に行けるようになった僕は、その夜も素足に下駄を履いて広場へと向かいました。
広場では、積もった雪の中に長屋から便所までの細い道ができていましたが、その夜は少々雪が降って道が消えかかっていました。
新雪を踏みしめて便所に到着、扉を開けて木の蓋を除ける・・・その直後、どういう加減からか僕の体は床の穴の中にすっぽりと落ち込んでしまいます。かろうじて両肘を広げて体を支え、完全に便槽の中へ落ちることは免れたものの、穴の上に這い上がるほどの力はありませんでした。
何度も「助けて!」と叫びましたが、母屋とは離れており、また誰もが熟睡している時間帯だったのでしょう、助けが来ることもなく、かなりの長い時間をそのままの姿勢で過ごしました。
やがて体が冷え切って腕の感覚がなくなり、声を出す元気もなくなったころ、着ていた寝巻きからずるりと体がすべり落ちて、そのまま便槽の暗闇の中へ落下しそうになりました。
そのとき両足の裏に何か硬いものが触れた感触があり、次の瞬間僕の体はグイと浮き上がって、便所の床の上に跳ね上げられていました。

その後のことは全く記憶にありません。
どうやって母屋に戻ったのか、下駄をどこにやったか、汚れた寝巻きはどうしたのか。
かろうじて覚えているのは、お湯をはった金属製のたらいの中に足を浸して眠くなったことくらいです。

ステンドグラス トイレの神様この事件について、当然のことながら僕は便所に住む神様が助けてくれたと思っていましたが、神様のことは誰にも話してはならないと決めていたので、そのときは黙っていました。
幸いに、どうやって助かったのかとしつこく聞いてくる大人もいませんでした。

その数年後くらいに、親類が集まった折、この事件の話になりました。
僕は真相を追求されたらどうしようかと、内心緊張しつつ大人の様子を窺っていましたが、そこで僕の若い叔父の話を聞いて驚きました。

叔父が言うには、寝ているときに子供の声が聞こえて目が覚めた、広場から聞こえたような気がして便所へ行ってみると、僕が床の穴にはまったまま寝ているのを目にし、慌てて引きずり出した、と言うのです。
いや~手にウンチは付くし、汚くてたいへんだったぞ、と大笑いしながら言うのですが、僕の記憶とは全く違っていました。

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トイレの神様ーその2ー

2009年08月19日

トイレにまつわる僕の最初の記憶といえば、小学校に上がる前、多分5歳か6歳のころの体験です。
母の実家が札幌の中心地にあり、よく泊まりがけで出かけていましたが、そこは典型的な長屋の造りで、木造平屋建ての家屋が連なって小さな広場を囲んでおり、広場には井戸と共同の便所がありました。
”トイレ”などと気取った呼び方をするようになったのは大分後のことで、そのころは普通に”便所”と言ってました。

その便所というのはもちろんすべて木製で、まだ陶製の便器などというものはなく、木の床に結構大き目の穴が開いていて、左右に足を乗せる板が貼ってある程度、おそらく世界共通の基本形便所でした。
床の穴に合わせた木の蓋はありましたが、それでも夏場のアンモニア臭は目を開けるのもつらいほどでしたし、冬場は便が穴の底で凍りつきピラミッドのごとく競り上がってきて、大人がそれをスコップで突き崩していた様子を覚えています。

さてそのころの僕はすでに不眠症の兆候を示していて、家族が寝静まった後もひとり天井を見つめたまま、異様に大きく感じるチクタクという柱時計の音を聞きながら眠くなるのをじっと待ちました。
時折、眠くなるより前に尿意をもよおすことがあって、そのときは困りました。なにせ便所は家の外、広場の向こう端にあり、広場には裸電球がひとつ、ぼんやりと真下を照らすだけで、便所の中に照明はありませんでした。
さすがにひとりで便所まで行く勇気がなくて、隣で寝ていた祖父を起こしては便所まで付いて来てもらうということを何度か繰り返したのでしょう、たまりかねた祖父があるとき僕に言いました。
「便所には神様がいてな、子供を守ってくれる。だから安心してひとりで行ってみな」
「ほんとに?便所のどこにいるの?」
「ん~、・・・そりゃ下だろ、便槽の中だろうな」
「えぇーっ!?そんなきたないとこ?」
「神様だから汚れないんだよ」

祖父の話を信じた僕は、あるとき勇気を振り絞って真夜中にひとりで便所へ出かけました。明るい月が広場を照らし、裸電球の周りに蛾が飛び交う真夏の夜でした。
「神様がいる、神様がいる・・・」と自分に言い聞かせながら便所の扉を開け木の蓋をどけると、なんとそこには確かに神様が見えました。

最近よくテレビで見るのですが、若いタレントが、おそらくは所属事務所の指示でしょうけれど、霊が見えるとか宇宙人に会ったとか前世のことを覚えているとか、明らかに作り話とわかるような内容の話を平然と語ったりしてますね。
「売れるためなら何でもありか!?」と不愉快な気分になったりもしますが、僕の話はそういうのとは違います。
間違いなく見たのです。

ステンドグラス トイレの神様便所の蓋を除けると、わずかに月明かりが差し込む便槽の奥に小さな二つの光る点が見えました。
僕は瞬時にそれが神様の目であることを理解し、じっと覗き込むと、その光る点が何度か瞬きして確かに目であることがわかりました。
ステンドグラス トイレの神様僕は何故かその話を祖父にもその他の誰にもしませんでしたが、その後も何度か光る目に遭遇し、ときにはその目が4つのこともあり、便所にはいつも神様が居ると信じることができました。

結局、神様の体が見えたことは一度もありませんでしたが、僕の想像の中でその姿は、毛深くて耳の立った動物のような様子をしています。

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トイレの神様ーその1ー

2009年08月17日

先月、トイレのドアの明かり窓にステンドグラスを取り付けるという仕事をいただきました。
注文主のT家の方々とデザインの相談をする中で、主題を「トイレの神様」にしようということになりました。

”トイレに神様がいる”と考えるのは世界共通のイマジネーションらしく、インターネットで検索するとおびただしい数の情報が出てきます。
西欧では漠然としていて、”トイレに現れる妖精”的な扱いが多いようですが、アジアではかなり具体的な神様像があります。
密教の「烏枢沙摩明王」(うすさまみょうおう)はトイレの守り神のようなものですが、その前身にはインドの「アグニ」神がおり、中国に行くと「紫姑神」という女性の神になり、日本では「厠神」と総称するトイレの神様が各地にいます。

しかし今回の仕事に、これら普遍的な神様のイメージは使わないことにしました。それよりも僕のプライベートな体験から生まれるイメージを形にしようと思いました。

とはいうものの、トイレにまつわる体験というのは予想以上に多いものですね。
トイレに行く回数を1日に5回として1年で1825回、人生80年として14万6千回トイレに通うことになります。1回あたり3分を費やすとして(僕はもっと長いですが)、43万8千分、時間にすると7300時間つまり一生のうちで300日以上もの時間をトイレで過ごすことになるわけですから、それにまつわる体験そしてその記憶が多いのは当然でしょうか。

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必要とするのは1枚だけですが、なにせたくさんの記憶の中から色々なことを思いつくもんで、11枚の作品ができてしまいました。それに加えて、夏休みで朝から晩まで工房に同居している三女が、僕の仕事をそばで見ていて自分も作ると言い張り、仕方なくひとつ作らせました。それも含めて合計12枚の中から気に入ったものを選んでいただこうと思います。

大きさは93mm×93mmと小さいですから、1枚のガラスにエッチングする方法にしました。
作品を取り付ける窓は、じっくりと鑑賞するような場所ではなく、中に人が入っているかどうかを確認し、ちらりと見て通り過ぎる場所です。
でも毎日、そして何年も何十年もの間見続ける場所です。
親しみが持てて飽きが来ないデザインを心がけました。

さてT家の家族会議で、どのデザインが選ばれるでしょうか?
楽しみです。

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