作品コンセプト
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タンポポと戦う ー前編ー

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現在函館のギャラリー村岡で「デイジー」展を開催中ですが、昨年の同じ頃には「タンポポ」展をやっていました。どちらも被せガラスにエッチングした あとエマイユで着色するという方法で表現してますから、モチーフは違うけれど似たような印象を受けるかもしれません。しかしその動機と言いますか、制作に 至るまでの過程は全く違うものでした。

僕は渓流釣りが好きで細々と30年近く続けていますが、始めた頃 よく釣れたヤマベやイワナやオショロコマが次第に数を減らし、代わりにニジマスが増え、近頃ではブラウントラウトが幅を利かせている川もあります。ニジマスもブラウントラウトも元々日本に居た魚ではありません。ニジマスは1877年北アメリカから意図的に輸入され、ブラウントラウトは1920年代北部ヨー ロッパより偶然移入されたと言われています。不思議なもので、大抵の外来種は獰猛で繁殖力も強く、在来種の絶滅が危惧されています。

タンポポについても同様なことが起こっており、今日本中で目にするタンポポの多くは西洋タンポポと言われる外来種で、明治の初めに食用として輸入したものです。在来種は幾種かありますが、北海道ではエゾタンポポが主です。しかし、そのエゾタンポポも今ではほとんど見つけることができません。

10数年前、野幌原始林のそばに住んでいたとき、エゾタンポポの群生地を偶然発見しました。その後毎年そこを訪れる度に、エゾタンポポが減り、西洋タンポポが増えつつあることを確認していました。ついでに言いますと、その近くでわずかばかりのカタクリも自生していましたが、こちらは数年で完全に消滅 しました。

タンポポ話が次々と変わるようですが、5年前に現在の住居に引っ越してきたのは4月の1日でした。家の裏手には日当たりの良いまずまずの広さの庭がありまし て、先住者がどのようにこの庭を使っていたのか、どこにどんな花が咲くのかと楽しみにしていましたら、4月の末になって庭一面いっせいに咲き始めたのはタンポポでした。もちろんすべて紛れもない西洋タンポポでしたが、長い間放置されてたらしく、相当に株が大きくなっていました。これはまずい!と思いまし たが、それは引っ越した当初、庭の隣接地すべてが畑だったためで、タンポポの種が飛散すると畑に大迷惑をかけるからです。とにかく種になる前にタンポポを 刈り取らなければなりません。その日からタンポポとの戦いが始まりました。
初めは手作業でひとつひとつむしり取っていましたが、それではとても追いつかないということがわかり、電動の草刈機を購入しました。これでもう安心と鼻歌まじりで庭仕事を楽しんでいたのは最初だけ、エゾタンポポの期間限定と違い、西洋タンポポは初霜の降るまで咲き続けます。つまりそれまで毎日のよう にタンポポを刈り続けなければ種の飛散を許すことになってしまいます。さらにやっかいなことに、黄色い花のときに刈り取ったタンポポをそのまま地面に放っておくと、種に変わってしまいます。刈るだけでなく、後片付けにも時間と労力を必要とします。

次の年、これではイタチゴッコも同然だということがわかって、根を鍬で切ることにしました。この方法は少なくとも一時的には効果があって、気をよく した僕は、いそいそと花壇の図面を描き、レンガなど買い込んで、翌年の分まで種を蒔きました。工房の向かいの空き地から、お気に入りのデイジーをたくさん 持ってきて、いたるところに移植したりもしました。

しかし、翌年の春、これまでにないほど元気の良いタンポポが湧き出て来るように咲き始めるのを見たときは、タンポポが報復しようとしているかのよう に見えました。デイジーは陰も形もなく消え失せました。おりしも巷では、米国が日本に牛肉を買え、買わねば許さぬと脅迫まがいの言動を繰り返していたとき で、僕の怒りは頂点に達しました。

怒りは時として人に活力を与え、ドーパミンのなせる業か、とびきりのアイデアを与えてくれることもあります。僕は、庭の西洋タンポポを絶滅させて、代わりにエゾタンポポを持ってきて増やそうという考えにとりつかれました。  - 後編に続く ー

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