雑記帳

「ステンドグラスと美術館見学の旅」を終えてー前編(コート・ダジュール)ー

2008年10月3日
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9月15日夜、日本から飛行機を乗り継いで、コート・ダジュールの中心都市ニース着。
翌16日朝、7人乗りのレンタカーにびっしりと乗り込んだ僕たちは、最初の目的地サン・ポールの村へ向かいました。

青く晴れ渡った空と紺碧の海に見とれながら運転していると、目の前にアンティーブの城砦が見えてきて、サン・ポールへの分岐点をはるか通り過ごしたことに気がつきUターン、その後もあちこちと迷路のような細道に何度も迷い込み、一同の信用を失いつつも何とか村のはずれにあるマーグ財団美術館へたどり着きました。

この美術館は、パリで活躍した画商エーメ・マーグ夫妻が設立したもので、現代美術の宝庫と言っても良いほど充実した作品群が収められています。 ジャコメッティーやミロ、シャガールなどは建物の設計時にも関わっていますが、同じように協力していながら注目度が低いと思われるのはジョルジュ・ブラック(Georges Braque)です。

ブラックは、ピカソと共にキュビズムを創始したと言われているものの、ピカソの存在があまりに大きかったためにその陰に隠れてしまった感があります。しかし西洋美術史の中では、コラージュやパピエ・コレの創案者としても有名であり、セザンヌを現代芸術に繋げる稀有な役割を果たしたことでも知られています。

マーグ財団美術館でブラックは、礼拝堂のステンドグラスを制作するという最も重要な役割をまかされています。なぜこれが重要かと言うと、もともとこの計画はマーグ夫妻が1953年に幼くして亡くした彼らの息子のために礼拝堂を建てようという考えからスタートしているからです。言わば、美術館は礼拝堂に付属して作られたものだということです。

2008blog-braque.jpgそのステンドグラスは、「Oiseau blanc et mauve(白い鳥と葵)」というタイトルで1962年に制作されています。ほとんど紫一色でデザインされたステンドグラスは、深い悲しみを湛えているかのような淡く静かな光を礼拝堂の中に満たしています。このステンドグラスの前に初めて立ったマーグ夫妻の心境はどのようなものだったでしょうか?

ジョルジュ・ブラックの墓その翌年ブラックは、マーグ財団美術館の開館を待たずしてパリで亡くなりました。ブラックの墓は、礼拝堂のステンドグラスによく似た白い鳥で飾られています。

さてそれから僕たちは、同じ日にマチスのロぜール礼拝堂を訪ね、 次の日アンティーブの朝市とピカソ美術館を巡り歩き、映画「パフューム」で有名になったグラスの町の香水工場を見学し、さらに次の日モナコからマントンへ行ってジャン・コクトー美術館を垣間見て、最終日は車を返却してニース市内を電車とバスで乗り継ぎ、近現代美術館とマチス美術館、シャガール美術館を梯子し、翌20日やはり晴天の朝、空路パリへと向かうのでありました。

ニースのお土産おまけの写真 ; ニース旧市街の朝市で見つけたもの。プロヴァンスの小さな工房で作っている陶製の塩コショウ入れのセットです。目と口が穴になっていて、背中には手描きでハーブの絵が描かれています。何種類かある色から好きなものを二つ選んで組み合わせ、1セット10ユーロ(1600円くらい)でした。

ー後編に続くー

ニースの陶器

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