雑記帳

バレエ一直線

2008年7月14日
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今日は、珍しくも家族と離れ一人きりでバレエ公演に行ってきました。
僕が”バレエ”というと、たいていの人は意外そうな顔をします。高校生の頃、ボリショイバレエ団やキエフバレエ団の公演に小遣いを貯めてやはり一人で行っていたときは、友人達から完全に変わり者扱いされてました。

実のところ、僕とバレエとの付き合いは、絵との付き合いと同じくらい長いのです。
僕がまだ小学校に通う前の我が家はちょっと変わった家で、個人の住宅であるにもかかわらず建物の真ん中に大きな板張りの部屋があって、そこが地域の文化教室のようになっていました。教室はそろばんと絵とバレエがあり、いずれも満杯に近い生徒で賑わっていたように記憶しています。僕はそろばんと絵の教室に通っていましたが、一番心引かれていたのはバレエ教室で、姉がレッスンを受けている傍ら、蓄音機の横でじっと立ち尽くしていました。自分も習いたいという気持ちだったのは確かですが、当時男の子がバレエを習うという風潮がなく、何度か先生に、おそらく冗談半分だったのでしょうが、「やってみる?」と誘われても、おずおずと引き下がるばかりでした。

しかし高校生になってから本格的なバレエ公演を見てみたいという気持がつのり、たまたま札幌までやってきたボリショイやキエフの公演を見に行ったわけです。こうした大型の公演は、そのころまだ真新しかった札幌厚生年金会館で行うのが常でした。
高校卒業後は美術の道に進むことを決めましたが、わけあって半年で断念し、するとまたもやバレエ熱にうかされて、今度は見るだけでなく自身でやってみたいと教室を捜しましたが、適当なところが見つからず、結局入ったところは社交ダンスの教室でした。それでも僕にとっては念願のダンス教室でしたので、一年ほど熱心に通い、コンクール出場の誘いを受けるくらいにはなりましたが、残念ながら時間切れ、また別の目的のためにフランスへと発ちました。

フランスはこと芸術の分野に関しては天国のような国です。美術学校の学生証があればほとんどの美術館が入場無料ですし、あらゆるコンサートや演劇や映画に格安の学生料金が設定されています。何よりもすごいのは,見るに値する演目が毎日のようにどこかで行われているということです。パリの下宿の近くにあったシャトレ劇場は、モダンバレエの拠点のようなところでしたから、僕は毎週のように通いつめて、しばらくクラシックバレエから遠ざかり、モダンバレエの世界にのめりこみました。なんだか商業的な臭いがするモーリス・ベジャールより、そのころメジャーになりつつあったローラン・プチやカロリン・カールソンが好きでした。

少々話し変わって、ボザール工房では3年毎に、パリを中心にしてステンドグラスや美術館を見てまわろうという研修旅行を実行しています。今年は第7回目を9月に計画していますが、その話は別の機会にするつもりです。
6年前の第5回研修旅行のとき、パリの新オペラ座でバレエ公演を鑑賞しました。演目は「ドン・キホーテ」、あのルドルフ・ヌレエフの演出によるものでした。(ヌレエフは、ニジンスキーの再来とまで言われた著名なダンサーで、パリオペラ座の芸術監督をつとめていましたが、1993年にエイズで亡くなりました)公演の内容はさておき、このときの旅行参加者の中に桝谷まい子さんという一人のバレリーナがいたということを特筆したいのです。
時は4月の中頃で、彼女は高校を卒業したばかりでした。無邪気で明るく、優しく気がきいて、一緒にいる誰もが幸せな気持になりました。表情や動作のひとつひとつに意味があり、常に体全体で何かを表現しているように見えました。僕を含めた他の6人の旅行者は、彼女を「まいちゃん」と呼んでかわいがりました。
まいちゃんは、自分のことも包み隠さず何でも話してくれましたが、札幌でバレエスタジオを主催する母上には進学を勧められたものの、色々悩んだ末にバレエに専念することを決めたと言っていました。

パリでは彼女の体験入学に付き添って、シャンゼリゼ通り近くにあるバレエ学校の授業に立ち会う機会を得ましたが、子供の頃に慣れ親しんだ練習風景とあまりにも似かよっていて、突然自分の背が縮み蓄音機の横に立っているような気がしました。あの頃意味も分からず聞いていた”アン・ドゥー・トロワ”や”エトワル”、”プリエ”などのバレエ用語は全部フランス語だったんだと再認識しました。

バレエ、ジゼルその後彼女は言葉通りバレエの道を一直線、2004年には北海道バレエコンクールシニアの部で金賞、北海道知事賞も受賞し、さらに全国的なバレエコンクールでも数々の入賞を果たしています。
2005~2006年には米国のコロラドバレエ団に所属し、帰国後も様々な活躍の後、本日、僕にとって思い出深い札幌厚生年金会館での公演「ジゼル(全2幕)」に主演しました。
思いつくままに目的を変え、曲がりくねって前進と後退を繰り返し、何もかも中途半端で終わらせた僕の青春時代とは 大きな違いです。

あのときパリの新オペラ座で 一緒の客席にいた「まいちゃん」が、今日はあちら側で、しかも舞台の真ん中で大きな拍手を浴びながら生き生きとして踊っていました。感無量!

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