雑記帳

続・絵の勉強

2014年5月30日
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さて次女のピアノレッスンですが、初めて付き添った日、次女の左に先生が座り、僕は後ろのベンチにさがって見学。
「じゃ、ここのところ・・・」と先生の指示を待つこともなく次女はいきなり鍵盤を叩き始めました。譜面台の楽譜とは何の関係もない曲です。
「ちょっと待って」と制する先生を無視して、次女は勢いよく鍵盤を叩き続けます。
これはまずいぞと僕は立ち上がり、次女の 右から「先生の言うこと聞いてから弾くんだよ」と優しく注意しましたがこれも無視。慌てた先生が「ほーら、ここ見てごらん、何がかいてあるかなあ」と楽譜のイラストを指差して注意をひきつけようとしますが効果なし。
「ちょっとだけ休もうか」と僕。「さあ、それじゃ新しい曲をやってみようかな」と先生。
こんなやりとりが30分も続いて、僕と先生はぐったりでしたが、本人は途中から歌も加えて絶好調、「今日はこのくらいにしておきましょうか」という先生の言葉を合図に次女は素直に椅子から降りると、紅潮した顔でさも得意げに僕を見上げました。

このとき僕は、どこかで似たような光景を目にしたことがあるような気がして、古い記憶をまさぐってみたら、ありました。ぼんやりとですが、見たのではなく、僕自身が体験したことのかすかな記憶が蘇りました。
それによりますと、僕がまだ小学校に上がる前のこと、多分4~5才でしょうか、絵の先生(やはり女性でした)が僕の横にはりついてしきりに話しかけてきます。
「机の上に何があるかなあ」「みんなはなに描いてるんだろうねえ」「ちょっとお休みしようか」、僕は先生のことも気にはかけているのですが、どうしても手を止めることができずに、画用紙の白い部分が見えなくなるまで、クレヨンを塗り続けました。似たようなパターンの記憶がいくつかあるのは、何日か繰り返したということなんでしょう。
その後数年通い続けた絵画教室で僕だけが自由制作を許されていた理由を、もしかすると先生が僕の特別な才能に気がついて自由を与えてくれたのかとも思っていましたが、むしろ逆にあきらめて放置されていたんだということに思い至りました。
その僕が今は人に絵を教えており、次女はこの春高校の音楽科を卒業しました。

現在ボザール教室の生徒が手がけている課題をいくつかご紹介します。

 

イギリスのオクスフォードにある馬頭部の模写。

自然光をバックに、ガラスを立てた状態で絵付けする勉強です。

 

 

 

 

 

 

フランスのルーアンにあるエマイユパネルの模写。

17世紀の作品ですが、ステンドグラスというよりはガラス絵です。

近くで見ることを前提とした細密画であり、そのためにエマイユで着色しています。

 

 

 

フランスのオータンにある16世紀の大きな作品の模写。

これはボザール教室のカリキュラムにはありませんが、すでに卒業した生徒が引き続き自主的に自分で課題を選んで制作しています。

 

ボザール教室の生徒には、僕や次女のような暴走タイプの頑固者はおらず、皆黙々と与えられた課題の制作に取り組んでいます。

 

教室の見学を歓迎いたします。

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