雑記帳

世界の・・・

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インターネットが登場して以来、世界は狭くなりました。
知らない相手と情報や意見の交換は出来るし、ニューヨークの美術館の中を覗いた後、パリの街角のカフェの前に立ち、そのまま周囲を散歩することもできます。宇宙からオーロラを見たり、海の底をツーリングすることさえ可能になりました。
実に驚くべきことですが、それが当たり前のことになりつつある世の中にも驚嘆しています。

美学生の頃東京で通った画材店は「世界堂」、「世界の山ちゃん」は名古屋の手羽先屋さん、「世界のナントカ」いう芸人さんもいましたね、「世界のISHIDOYA」なんて言われてみたいもんです。
”世界の”という言葉には、好奇心や冒険心を刺激し、スケールの大きさと未来への希望を感じさせる響きがあります。圧倒的なプラスのイメージです。しかし先週見た1本の映画によって、そのイメージがすっかり崩れ去ってしまいました。

映画の題名は「チェルノブイリ・ハート」。
2003年に制作されたマリアン・デレオ監督のドキュメンタリー映画です。この映画は、2004年にアカデミー短編ドキュメンタリー映画賞を受賞し、2006年には国連総会で放映されています。
監督のデレオは、ウクライナとベラルーシを訪れ、両国におけるチェルノブイリ原発事故による子どもたちの健康への影響を取材しました。この地域では多くの子どもたちが、「チェルノブイリ・ハート」と呼ばれる未知の心臓疾患や放射線障害に苦しんでいます。(ウィキペディアより)
その他にも白血病や癌、奇形などが事故前の25倍にも増え、人々の心や社会が深刻なダメージを受けて未だに立ち直れずにいる様子も生々しく伝わってきて、自分の認識が甘かったことを思い知らされます。

この映画は福島の事故後、世界各地で再上映されており、封切時にはなかった新しいナレーションが最後に加えられています。そのナレーションで訴えているのは、原発事故の被害は一地域にとどまらないこと、福島の事故は日本の事故ではなく”世界の”事故であるということです。
実際に福島の原発から漏れた放射能は、風や海流に乗って拡散するだけではなく、魚や鳥や虫、農産物や建材、中古車にまで付着して世界に拡がりつつあります。
福島は、その知名度からしても正に”世界のHUKUSIMA”になりました。

何より恐ろしいのは、チェルノブイリが辿った同じ道を、これから福島が辿るだろうと予測されることです。「フクシマ・ハート」という言葉が世界に流通する日が来るのでしょうか。

ー続くー

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