雑記帳

愛着心を捨てるーその3-

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東京の美術大学受験に失敗した僕は、美術専門の予備校に通うようになりましたが、そこで学んだ唯一のことは”一本の線で描くデッサン”でした。
予備校の最初の授業で、静物を正確に描くという課題を与えられ、正しいのはただ一本の線であるということを教わりました。それまでは、何本もの線を描いて、その強弱や揺らぎの中から正しい線を見分けるようなデッサンでした。その方が雰囲気が出たり、味のあるタッチに見えたりして、いい感じに仕上げることができたのです。しかし「そんなものはすべてごまかし」であり、「何の勉強にもならない」ということを聞かされて、確かにその通りだと心底納得し、自分の甘さを反省しました。

 

一本の線で描く静物デッサンは相当に難しいものでしたが、それ以上に難しかったのは人体デッサンです。

何故なら人体は動き、生きているからです。

動かない物質を正確に描くことは物理的な冷たい作業としてこなすこともできますが、人体を描くことはその人物を描くことであり、自分を表すことにも直結します。

つまり、いきなり芸術の本質に触れることになるわけですから、難しくないわけがありません。

 

人体もやはり一本の線で描く練習をさせられました。

しかし裸婦デッサンには、芸術の深奥に踏み込む前に、もうひとつの壁がありました。

高校出たての男子が、素っ裸の女性を間近に見るというのは、なかなかの一大事です。

 

担当講師に「明日から裸婦デッサンだよ」と告げられた瞬間から妙にそわそわとして落ち着かず、アパートに戻ってもついついそのことを考えてしまう。

明日は気が散って何も描けないかもしれない、モデルって若いのかな?美人だといいな。

そんなことを考える自分は芸術に向いてないんじゃないかと急に落ち込んだり。

 

まあ結局は不純な期待に胸躍らせていただけですが、人間は何にでも慣れてしまいます。一週間も経たないうちに裸の女性に対する性的興味を失っている自分に気付き、それはそれで別の心配がありました。

ー続く

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