前回のブログで「デザインを考えるときの主な要件」というのを3つ挙げましたが、もしコンピューターの世界に例えるなら、それらはいずれもハードウェアの部分にあたります。物理的でメカニックなハードの部分はもちろん重要ですが、それにもましてソフトウェアが重要であり、コンピューターの本質はむしろこのソフトの部分にあると言って良いかと思います。
ステンドグラスに限らずあらゆるデザインにとってのソフトウェアは、”誰のために、何のために”という目的意識だと思います。今回の病院建築のために考えるデザインは、まず第一にそこを訪れる患者やその家族のため、次にそこで働く医者や看護士、その他の医療関係者たちのためです。
予測されるのは患者たちの不安や苦痛、ケアする側の緊張とストレス等々、僕自身も患者であったことは何度もあるわけですから、大体のことはわかります。患者も医者も、病院の環境に求めているものは、もしかするとゆったりとして優しい癒しの空間かもしれません。しかし僕は、自分の患者経験から考えて、本当に必要なのは、苦痛やストレスを和らげる”癒し”ではなくて、病気にも過酷な仕事にも立ち向かえる”元気”ではないかと思うのです。現場に設置した僕の作品を見た人から、「癒されました」と言うより「元気になりました」という言葉を聞きたいと思います。
大きな方針が決まれば、実際のデザインに取り掛かることができます。
しかしそれは現場の大小にかかわらず、自分ひとりで進められる作業ではありません。現場やコーディネーターとの緻密な打ち合わせが必要です。現場の図面をいただき、おおまかなデザイン案を提示したら、取り付け方法を相談し、詳細図面をいただき、デザインを修整し、それに合わせて図面を引きなおしていただき・・・といったやり取りを繰り返して、徐々にデザインが固まっていきます。
そうして図面の数が増えてくるとなんだか嬉しくなってきます。
全体設計図やパース、詳細設計図にプレゼンテーション、種類や数が多いほど嬉しさも倍増します。
これは今回使用した図面の一部です。
僕は図面マニアじゃないけれど、鉄ちゃん(鉄道ファン)の気持ちが少しわかるような気がします。
さてこの後は、いよいよ自分ひとりの作業になります。ひとりで勝手に仕事ができるから楽だという考えもあるでしょうが、それは同時に自分ひとりで全責任を負うという意味でもあります。失敗したらすべて自分の責任、と言うより失敗は許されないのです。
僕の仕事は、家族や周囲からは遊びも同然の気楽な商売と思われているようですが、延長戦最終打席のピンチヒッター、ここでヒットかホームランを打てば逆転勝利、しかし空振りすれば敗戦即解雇という場面に常に立たされていることをなかなか理解してもらえません。
ー続くー