先々週、千歳空港から羽田に着いて横浜までバスで移動しながら気がついたのは、マスクをしている人がやたらに多いことです。3人に1人、いや2人に1人くらい、近頃流行の立体マスクをしていました。こちらでもインフルエンザが流行ってるんだな~、それとも予防してるのかな~なんて思いながら見てました。
後日、それがインフルエンザ対策ではなくて花粉症対策だということを教えられました。今この時期,本州以南では杉花粉が飛び散る季節で、アレルギーの人にとってはたいへん苦しくいやな季節のようです。
北海道には杉の木がほとんど生育しないため、杉花粉症も存在しません。そのためこの時期、スギ花粉症避難ツアーなんてものも企画されているそうです。
さて話は変わりますが、横浜最後の夜、スタッフとの展覧会打ち上げ会の後にラーメン店に連れて行ってもらいました。札幌ラーメンのうまい店があるというのです。「でも本場の人が食べてもおいしいと言うかどうか・・・」という弱気の発言を聞きながら、僕は僕で内心気を遣い「まずかったらどうしよう。何より札幌ラーメンとは似ても似つかない代物だったら何て言おうか・・・」なんて酔った頭で考えながらのれんをくぐりました。
結果はOK、心配には及びませんでした。
それどころか、なかなか札幌でもお目にかかれないような立派な札幌ラーメンでした。
海苔が立っていたりするみかけは少々現代風ですが。
横浜市上大岡駅近くの「親(しん)」という店です。
札幌ラーメンといえば味噌ラーメンと思っている人は結構多いと思います。しかし、味噌ラーメンは比較的新しく昭和30年頃に考案されたもので、一般に広まったのはそれから10年後くらい、僕は小学生高学年のときに初めて食べました。それまでは、醤油ラーメンしかなかったのです。
僕が子供の頃、よく親に連れて行ってもらったのは、すすきのにあった「龍鳳」というラーメン屋で、のれんをくぐってカウンターに座ると、注文しなくともラーメンが出てきました。メニューはラーメンのみ、お子様ラーメンも大盛りもなく、客の好みなど効いてくれる気配もありませんでした。
「龍鳳」のラーメンは、透明感がありながら黒々とした醤油色のスープ、鶏と魚介系の味がして、とんこつ臭さは感じられませんでした。麺は細めの少し縮れた麺で、かなり硬めの茹で加減だったと思います。横浜の「親」のラーメンに良く似ています。
もう一箇所、僕が幼児の頃から通っていたのは、母親の実家近く二条市場内にあった「だるま軒」です。ここも当然ラーメンの味は醤油のみでしたが、「龍鳳」より色が薄いスープで、麺は縮れて透明感のある独特のものでした。具として、麩と硬めのチャーシューとしな竹、鳴門、ほうれん草がのっていました。
ある時ラーメンの歴史が書かれた本を読むと、戦後の札幌ラーメンのルーツは「龍鳳」と「だるま軒」にあると書かれていました。それじゃ僕の札幌ラーメンに対する認識は、かなり正統派に近いと言っても良さそうです。
「龍鳳」も「だるま軒」も現存していますが、残念ながら僕の記憶にある味とは全く別物のラーメンになってしまいました。どこかに昔の札幌ラーメンそのままの味はないものかと常に捜していますが、札幌市内ではほとんど皆無と言ってもいいくらい見つかりません。
そんな中で、現在僕が一番昔の札幌ラーメンに近いと思う店を紹介します。
札幌から車で1時間ほどのところの岩見沢市栗沢町にある「醤油屋本店」という店です。
昭和30年の創業で、現在の店構えも中の調度も、もちろんラーメンの見かけも味も、昔のものを今に伝えようとする熱意が感じられ、「そうそうあのころはそんな時代だった」なんてうなづきながら美味しくラーメンをすすることができます。
羽田から飛び立って1時間半、千歳の上空から地上を見ると圧倒的に緑が多く、その間に点在する建物と、それらを結ぶまばらな道路を走る車の少なさが目につきます。羽田上空からの眺めとの何という違い・・・。
しばらくぶりに東京へ行くと、ひしめき合って生きるその活力に圧倒され、羨ましく思うことがあります。そこから帰って来て見る北海道の風景は、あまりに寂寥として物悲しくさえ見えてしまいます。
しかし昨日の新聞には、もっとも鉄道で旅行したい所は?というJTBのアンケート結果が載っており、スイスを抜いて北海道が一番でした。
北海道に憧れる人たちと、北海道に住む人たちの温度差は大きなものですが、この温度差をいかにして縮めることができるのか、北海道のいいところを守っていけるのか、北海道を旅したいという人たちの期待に僕たち北海道人は本気で応えようとしているだろうかと、時折考えます。
味噌ラーメンが札幌ラーメンの代名詞になるなら、それも新しい伝統、致し方ありません。しかしラーメンにコーンやバターや牛乳を入れただけで、”北海道らしい”なんていうのは安直過ぎないか?と思うのですがどうでしょう。