雑記帳

芸術から学ぶこと

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ステンドグラス 平岡高校今日、北海道札幌平岡高校へステンドグラスコンテストの審査に行ってきました。

年に一度の学校祭で開催される伝統行事ということで、縁あって数年前から審査に参加しています。

審査員なんて柄じゃないんですが、面白そうだなと思って引き受けました。
 

 

 

コンテストのステンドグラスは、当然ガラス製の本物ではないけれど、光を透して見るという原則において本物と違いはなく、本物よりはるかに自由があります。
ステンドグラス 平岡高校昔ながらの色セロファンにとどまらず、和紙に千代紙、ナイロン網やシールにネガフィルムなど、ありとあらゆるものを使用し、さらに絵の具で着色したりなんかして、多種多様、期待通りの面白さです。

”学校で作るステンドグラス”と聞いて、多くの人が想像するのとは次元が違う作品がたくさん並んでいました。

ステンドグラス 平岡高校1クラス1作、各学年8クラスの合計24作品が出品されていました。
やはり3年生の作品は圧倒的に優れていて、これはその一部です。

  
                                                                                                                

審査会の折、先生方とも話したことですが、芸術教育というのは道徳教育であり社会教育でもあります。
近年とんでもない事件を起こす子供達が増えているのは、この芸術教育をおざなりにしてきた結果ではないかと僕は本気で思っています。
事件を起こした子供達がどのような芸術教育を受けてきたか、是非調べてもらいたいものです。

「芸術」なんて大袈裟に考えちゃいけません。
自分を表現することすべてが「芸術」です。
絵でも音楽でも、言葉でも体の動きでも、自分の中の何かを表現し人に伝えようとすることが「芸術」です。

 
高校生達の作った作品は、もちろん優劣はあるものの、どの作品も相当な時間を費やしたと思われるものばかりでした。
彼らは実際どのように作業を進めたでしょうか?

誰かがアイデアを出し(誰が?複数の時はどうする?)、
作り方を考え(こうしよう、いやそれよりこうした方が)、
材料を手に入れ(手分けして)、
作業開始(それぞれが得意な作業を、でも最初は誰が何を得意かなんてわからないんだよね)、
思うように進まず(遅いぞ!さぼるな!ちゃんとやれよ!なんてちょっと険悪な雰囲気)、
先生の助言、激励、叱咤(素直に聞くか、うぜ~っと思うか)、
ぎりぎりまで頑張る(もうあきらめようぜ、いやまだまだ!)、
完成!(ヤッタあ~、でももう少し時間があったら・・・)

いや、もっと複雑な心理的葛藤があったことでしょう。
こういう経験を1度でもしたなら、自分を主張すること、他人を支えること、思いやること、争い方や仲直りの仕方、苦しみと喜びの相関関係、作業と作品の因果関係を学び、家庭ですぐに、または後に社会へ出たとき役立てることができます。

そして最後に、努力は必ず報われることと、努力が時に報われない場合があることを学び、できることなら、くじけないことと希望をもつことの大切さも学んで欲しいと思います。

こんな経験をした人間が平気で他人を傷つけたりするわけがないと思うのですがどうでしょう?

 

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