僕が高校生の時、我が家には毎月一冊の大きくて立派な画集が送られてきました。
それはある出版社の企画で、2年ほどかけて西洋の近代画家集を完成させようという目論見でした。
ダヴィッドやアングルに始まり、マネやルノアールやセザンヌが送られてきて、 最後にモンドリアンやクレーと共に送られてきたカンディンスキーの絵に僕は驚愕しました。
何ひとつ具象的なものは描かれていないにもかかわらず、色や形が明確な意味を持ち、言葉が氾濫しているかのように見えたのです。
ワシリー・カンディンスキー(1866~1944)は、抽象絵画の父と称されるモスクワ生まれの画家で、後にドイツのバウハウスで教官を勤めた理論家でもあります。
カンディンスキーの理論を簡単に言ってしまえば、絵画に点数をつけて良し悪しを判断しようということでした。点数の高低には彼なりの基準があって、その基準に従い抽象画に限らず古典的な絵画まで点数をつけるという試みがなされました。
例えばその基準のひとつに「正方形は赤色に塗られていなければならない」というのがあります。これほど断定的に書かれていたかどうかわかりませんが、高校生の僕には、強く信念に満ちて、脅迫的とさえ感じられる概念でした。
何より僕を悩ませたのは、僕にとって「正方形は青」以外に考えられなかったことです。
「正方形が赤」と感じられない自分は、カンディンスキーの絵を正しく理解していないのではないか?
感性が磨かれていなかったり、勉強が足りなかったりするからなのだろうか?
この先美術の世界に進めるのか?
進んだときに支障がありはしないか?
等々、真剣に悩みました。
絵に点数をつけるなんておかしい、感じ方は人それぞれで、その多様性に価値がある、と考えるようになったのはしばらく後になってからです。
その後現在まで、その考え方に変わりはありませんが、赤色に対する妙なコンプレックスや警戒心みたいなものは残りました。
自分は「赤」について、その感情や言葉や味や音、肌触りを本当に解っているのだろうか?と思ってしまうのです。
少々トラウマじみた長きに渡るこだわりを、このあたりで払拭したいなと思いまして、夏の終わりから2ヶ月間ほど赤いガラスを多用した作品ばかり作ってきました。
そんな作品を集めて展覧会を開きます。
陶芸家の上島英揮氏との二人展ですが、上島氏にも付き合ってもらって赤っぽい作品をたくさん用意してもらいました。
「朱と赤」展。
11月18日~23日まで、大阪のギャラリーおがわで開催します。
ギャラリーおがわでは、昨年も上島さんとの2人展を開催しましたので、2回目の企画になります。
どうぞご覧下さい。
案内はがきにも使ったこの写真は、直接ステンドグラスを撮ったものではなく、透過した光を白いケント紙に映して撮影したものです。
赤色ガラスの透光率の低さを感じさせない演出をしたいと思いました。