14日(日)は米沢市の街中にある「避難者交流サロンふわっと」を後にして、栗子峠へと向かいました。避難者たちが自由に使えるようにと土地を提供してくださった方がいて、そこに小屋を建て1年を通じて遊べるようになっています。前回来たとき 小野さんは、小屋に太陽光発電機を取り付けたそうです。
さて当日朝は、前夜から降り続く雪の中、峠からの狭い脇道にたくさんの車が次々と入り込み、駐車にかなり手間取りましたが、なんとかイベントがスタートしました。このイベントは”わんぱく広場「ソドデアソビダイベシタ」”という自由参加型のコミュニティーが企画したものですが、その日のスケジュールがどうなっているのか詳細不明のまま僕たちは参加し、現場に着いてもやはり不明のまま。僕たちの希望は、子供たちが休息しているときに音楽を楽しんでもらうことでしたが、どのタイミングでどこで開始してよいものか?
現場で出会った方々の一部から名刺をいただきました。その肩書きを見てみますと「一般社団法人 山形県被災者連携支援センター」「311受入全国協議会」「やまがた絆の架け橋ネットワーク」「TOHOKU ALL FOR PROJECT」とあります。他にも、九州からの団体や、個人で参加している人などがいました。
この日の準備のために、主催の方々は相当の時間を費やしていることと思います。おそらくある程度の役割分担もあるのでしょうが、多くの人が自由に動いて仕事をこなしているように見えました。
そうこうしているうちに子供たちはすでに雪山に散らばり、そりを持ち込んでいます。
見ていると雪遊びに慣れていない子供が多いようで、放っておけば少々危険な状態。
周囲に大人の姿もなく、見るに見かねて僕が安全なそりコースつくりに従事することとなりました。
斜面には、いくつか危険な障害物があり、それを避けて遊ばせなければと、付近にいた若い人たちにも手伝ってもらって大急ぎのコースつくりです。後で知ったのですが、”若い人たち”というのは福島大学の学生たちや米沢市内の高校生たちでした。ボランティアで20名ほどが来ていましたが、彼らも何をするか決まっているわけではなく、自分で仕事を探して手伝っているようでした。
そりコースつくりが終わり汗だくで小屋に出向くと、小野さんが薪ストーブの火おこし中でした。
こちらも火がおこせないまま放ってあったらしく、北海道人の出番だったようです。
小屋の外、ちょっと離れた所に炊事場があり、お母さんたちをはじめとするかなりの人員はそちらで昼食の準備中らしい。
全体でどれくらいの人がいるんだろう?6~70人くらいかな?
小屋の中にいると、子供たちや親、スタッフとボランティアの人たちなどが代わる代わるやってきます。皆一様に「寒い、冷たい!」と言いながら入ってきますので、暖をとらせて話をし、太鼓を叩いて遊んだりしているうちに、僕たちにもクリームシチューと焼きたてのパンが届けられました。誰かが気を遣ってくれたみたいです。
このとき初めて午後の予定を知りましたが、昼食のあと子供たちを屋内の体育施設に連れて行って、さらに遊ばせる計画だそうです。どうも僕たちが演奏会を開く時間的隙間はなさそうですが、体育施設まで同行しても役に立てる気がしませんでした。
この日はここでお別れ、僕たちは次の予定地、宮城県の角田市へと向かうこととなりました。
ー続く