さて、支援旅行の最終日12月15日(木曜日)は、前日宿泊の宮城県仙台市を出て、再び福島県へ戻る。
福島県伊達市にある「伊達もんもの家」で演奏の予定だ。”もんもの家”は、「NPO法人 りょうぜん里山がっこう」が運営する施設で、原発被害からの避難者や帰還者の交流を目的にしている。
伊達市に入ったところで、放射線量を測定してみる。
0.26µsv/hだった。
仙台港が0.08µsv/h、相馬保育園近くが0.14µsv/hだったことを考えるとかなり高い数値だ。
この数値をどう考えるか?ということに関しては、まずは伊達市行政サイドの情報を参考にするのが良いだろう。
伊達市のホームページを見てみると、大震災直後から始まった放射能被害との戦いを生々しく感じ取ることができる。
そのとき、もし自分がこの地に住んでいたらどういう行動をとっていただろうか?もし行政の側の人間だったら何ができただろう?それを真剣に考えると、安易な批判や助言など、到底口にすることはできない。
”もんもの家”には、その日、子ども連れのお母さんたちが4名いらしてた。
他に運営スタッフの方々にもお会いしたが、僕たちは誰とも放射線被害や生活の大変さの話をすることはなかった。
小野さんがフルートの演奏をして、震災後に生まれた子供たちが無邪気にドラムを叩く。
ひとりの女の子にカメラを向けると、真正面からきりりと僕を見据える。
その眼差しが、「あなたは誰?ここで何をしているの?」と語っているようで、僕は一瞬狼狽えた。
僕たちができることは、寄り添うこと、繋がることだけだとあらためて実感する。
ー続く