パリの美術学校(通称ボザール)へ通っていたときのことです。
ボザールは正門を入ると前庭があり、数十メートル歩いて正面玄関にたどりつきます。玄関を抜けるとそこは大理石の床にガラス屋根つきの 広いホールになっていて、学生たちはそこから1階や2階の各教室に分散する仕組みです。
ある秋の日の午後、街中にある学食でランチを終えてボザールへ着いたとき、ホールにちょっとした人だかりができていました。何事だろうと学生たちの間を掻き分けて進むと2階へ続く階段の前、ちょうど数人の学生が、ホールへと押し返されたような感じで後ろ向きのまま降りてきたところでした。その後から現われたのは、スキンヘッドの全身を真っ白く塗った素っ裸の男です。その顔つきからおそらく日本人だろうと想像できました。
狭い階段をスローモーションのような動きでゆっくりと転がり落ちてくる様は、それだけで強いインパクトを感じさせるものでした。ホールへ降り立ったあとは、やはりゆっくりとした動きの舞踏が続き、ヨーロッパのモダンダンスとは全く別物であることをボザールの学生たちに知らしめたことと思います。
この舞踏家は若き日の田中 泯さんでした。その後、ちょっとした集まりでお見かけすることがあり、白塗りしない素顔も眼光鋭く印象的な方でした。後で知ったことですが、1978年、パリのルーヴル美術館において、磯崎新・武満徹がプロデュースしたパリ秋季芸術祭「日本の間」展が開催され、田中泯さんが招待参加していたとのことです。彼にとって初めての海外公演でした。
さてその後30数年間、ボザールでのパフォーマンスのことはすっかり忘れていましたが、今年の4月になってNHK朝ドラ「まれ」を見ていると、どこかで見覚えのある鋭い目つきの役者が・・・あの田中泯さんでした。塩田の職人桶作元治(田中裕子が妻役)を演じており、海水を振りまく動作が様になっているのはさすがと言うべきでしょうか。僕が知らなかっただけで、ダンサーとしてはもちろん俳優やナレーターなど多方面で活躍されていたようです。
最近ではソフトバンクのCM「中華飯店編」でいい味出してました。
「お主いったい何者だ!」の光速料理人の正体は、田中泯さんでした.
この写真のスキンヘッド白塗り灯台は、能登半島最先端の禄剛崎(ろっこうざき)です。
「まれ」のタイトルバックに、ほんの一瞬空撮映像が映ります。
ここで能登半島を半周したことになります。ズック靴は履きつぶし、途中でお土産に買ったわらじを履いて歩き続けたことを覚えています。
ー続く