雑記帳

真実の顔

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つい最近僕もfacebookを始めました。
facebookって何だろう?と思っている方もまだ結構多いと思います。「顔の本」か?と最初は僕も思いましたが、その成り立ちからすると「顔の本」もあながち間違いではないでしょう。実際日本では”顔本”での商標登録もなされています。
2010年公開の映画「ソーシャル・ネットワーク(デヴィッド・フィンチャー監督)」を見ると、当時ハーバード大学の学生だったマーク・ザッカーバーグがfacebook創設に至った経緯がよくわかります。(但し、ザッカーバーグ自身は、映画の内容の全てが事実とは認めていません)

facebookとは、一言で言えばSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)のひとつですが、日本で先行していたmixiやamebaとは全く性質を異にしています。何より大きな差異は、facebookが実名での利用を原則としていることです。この実名性が大きな力となる反面、様々な弊害も報告されており、日本では普及しないだろうと予測する識者も多いのですが、どうでしょうか?僕は、多少の時間はかかるものの、アメリカ並みかあるいはもしかするとそれ以上の普及をするだろうと思っています。

普及の鍵は、このSNSが真実を伝えることに役立つかどうかということだと思います。実名を用い、顔写真を公開し、友人関係をさらけ出しながら、日本人が虚構の世界を創ることに執心するなら、SNSどころかネットの未来もないと思うのです。
2008年に日本語版を公開したときに、プロフィールの項目に血液型を付け加えたのは、誰が何のためにやったのでしょう?諸外国のfacebookには見られない項目です。血液型で性格が決まるなどという虚が広く信じられている国は世界で唯一日本くらいのものですが、そこに迎合したのでしょうか?facebookを遊びの道具としてとらえる日本的指向が現れている一件です。
facebookが単なる遊び道具としてだけではなく、真実を伝える媒介として機能するなら、世の中の不当な差別や貧富の差、様々な不正を正すための強力な武器となり得ると思いますが、これは正に両刃の剣で、使い方を誤ると逆に差別や不正を助長することにもなりかねません。

僕はfacebookのプロフィール欄にある”好きな言葉”の項目に下記の通り記入しました。
「美は常に真実の中にある。美を追求する人間は真実に敏感でなければならない。嘘やごまかしを許してはならない」
堅苦しい文章ですが、これは実は僕自身の言葉です。迷信や偽情報に囚われそうになったとき、作品を作りながらまあこんなものでいいだろうとごまかしそうになったとき、常に自分に言い聞かせている言葉です。

facebookの長所も短所も、これから徐々に明らかになっていくことであり、現時点で批判的予測を並べ立てても仕方のないことです。「facebookなんて」という人の大半は個人情報の漏洩を恐れていますが、しかし”情報の共有”ということが、世の中や人間のあり方を変えていくことがわかった以上、それを無視することはできません。自身の真実の顔をさらけだす覚悟があるかどうかということを、誰もが問われる時代になりつつあると思います。

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