雑記帳

言葉もなく

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11日に地震が起きて以来、ずっとテレビを見続けています。

20数年前、新婚旅行を兼ねて札幌から東京まで、小さな車に長いステンドグラスを無理矢理積み込んで行ったことがありました。
高速道路は使わずに、あえて海岸沿いの狭い道路を走りました。
次々と現れる集落の低い瓦屋根の家々に新鮮さを感じながら、曲がりくねった三陸海岸をひた走り、気仙沼や松島の美しい景観にしばし見とれ、福島の原子力発電所のフェンス横を恐る恐るすり抜けて、千葉から東京へと到達したあの道程が、ことごとく掻き消されているのをただじっと眺めていました。

16年前の阪神・淡路大震災の直後、あちらこちらに火や煙が立ち上る神戸の様子を空から見た故筑紫哲也氏は、「まるで温泉町に来たようです」というコメントを発したために強い批判にさらされましたが、氏の気持ちが分かる気もします。
テレビの映像を通してではありますが、俄かに現実とは信じ難い光景を目の当たりにして、それを形容する言葉を思いつきません。
「温泉」とは、ジャーナリストとして現場に立った筑紫氏が、何かを表現し伝えなければと 搾り出した言葉だったのだろうと思います。

しかし今回のこの光景は、「温泉」はもちろん「戦場」とも「雪崩」ともかけはなれ、他に類するもののない様相を呈しています。
さらに、福島原発の現状が暗い影を落として被災地の姿により不安感を与えています。

3日ほど仕事も手に付かずテレビの前に座りっぱなしでしたが、こんなときにも仕事をしないわけにはいきません。中断していた仕事に今朝から取り掛かりました。
そこで初めて気がついたことですが、今進めている仕事のデザインの一部は、1992年に福島県いわき市にあるお寺に納めた作品から拝借したものでした。
blog37.jpg

原画の一部です。
花とも葉とも見える形が”生命”を象徴しています。
福島県いわき市 ステンドグラス 

 

 

いわき市の作品のタイトルは「生命賛歌」というものでしたが、今回の地震で失われた多くの命や残された人々に対して、ほんのわずかでもこの作品が助けになるような機会はないだろうかと思います。
僕にできるのはせいぜいそのくらいのことしかありませんから。

                                                                                                                                    ステンドグラスのことはさておき、お寺は、住職さんは無事でしょうか?

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