雑記帳

ジゲチャトウロク ー後編ー

2008年12月6日
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娘の非を侘び、先生方の心遣いに感謝し、いたらない親であることを反省しつつ、一度は席を立ちかけた僕たちですが、少々疑問に思う部分があって再び席につきました。

質問:「学校では、髪を染めるという行為が良くないと言ってるのですか?それとも茶色い     髪の毛が良くないと言ってるのですか? 」
答え:「髪を染めるのは構いません。茶色い色がだめなのです」
質問:「なぜ茶色がだめなのですか?」
答え:「進学や就職に不利だからです。面接のとき、見た目の印象が悪いと落とされるこ      とが多いのです」
質問:「では生まれつき髪が茶色い子は、進学や就職のために髪を黒く染めるべきです      か?」
答え:「染めるべきとまでは言えませんが、その方が有利なのは確かですし、実際にそう      いう例は毎年多くみられます」

先月の初め頃、神奈川県平塚市の高校入試で、合格点を取っていたにもかかわらず、服装や頭髪の乱れを理由に不合格にされていた生徒が多数いることが発覚しました。県教育局が校長を解任し、世論の大多数がその処分に異を唱えて、ちょっとした騒ぎになっています。新聞記事には「高校入試、見た目で不合格!」というタイトルが付けられていました。

見た目で人を判断するのは、この学校に限ったことではありません。大多数の高校や大学、役所や企業でも普通に行われていることです。その点では、長女の通う高校の認識は正しいと思います。しかし、より本質的な問題を見落としているのではないでしょうか。
髪を金髪に染め、ピアスを付けて、奇抜な服装をしている人間がどういうタイプの人間か、おおよその推測をすることはできます。短所に限定するなら、自己顕示欲が強く、協調性に欠け、時には不真面目であったり反抗的であったりする、とだいたいそんなところでしょうが、それをそう決め付けてしまって良いのかということより、問題はその先にあると思います。

見た目で推測したことが正しいとしても、ではそういう人間は、学校で勉強するにはふさわしくない人間でしょうか?また組織の中に入って仕事をするこ とができない人間でしょうか?面接のときだけ相手に迎合して自分の見かけを変える人間は、学校や企業にとってより望ましい人間なのでしょうか?

平塚市の高校では、「学力が低くてもいいから、真面目な生徒を集めたかった」と言ってますが、それならば入試の際の条件のひとつとして堂々と表示すべきであったと思います。一方では「学力さえ高ければ、人間性は問題にしない」という方針らしい学校もたくさんありますし、「学力が低く、不真面目な生徒でも、金さえあればOK」(言い過ぎか?)という学校もありそうですから、生徒が自由に選択できるようにすれば良いことです。

学校の先生達の大多数は、毎日一所懸命に仕事をしています。長女の通う学校の「ジゲチャトウロク」も、子供たちの将来を案じればこその制度なんだろうと思います。
子供の生まれながらの身体的特徴を学校に申告し許しを請うという行為が、その親や子供本人にどういう心的影響を与えるか、などということは些細なことです。人権問題だなどと言って大騒ぎする気はありません。単一民族であるはずの”日本人”の規格から、ほんの僅かはずれていることが不運だったとあきらめることにします。

しかしそれでもなお、せめて担任の先生だけでも、長女にこう言って欲しかったという気持ちは残ります。
「君は君のままでいいんだ。君の先祖から受け継いだものを大切にしなさい。でも世の中には、見かけだけで決めつけて、君を拒否する学校や会社もあるだろう。そんな世の中は間違っていると思うなら、君達の力で変えていくべきだ。自信を持って世の中に出なさい。学校はそんな君達を応援している」

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