東京の美術予備校で油絵の勉強をしていたころ、”グリザイユ技法”というやり方を習いました。それは灰色か茶色の絵の具一色で絵を描くという技法でしたが、目に見えるものを色彩に惑わされず明暗でとらえるという訓練であり、実際に油絵の下絵描きに応用できる技法でした。
しかしその時は、”グリザイユ”がフランス語らしいということ以外は何も知りませんでした。後にステンドグラスの勉強をするようになって初めて”グリザイユ(grisaille)”がステンドグラスの絵付けに用いる特殊な絵の具であるということを知りました。
”グリザイユ”は酸化鉄が主成分です。平たく言うと”鉄の錆”です。これをガラスの上に乗せて熱すると、一部がガラスと一体化して焼き付くということを千年以上も昔に発見して、そこからステンドグラスの絵付け技法の歴史が始まりました。
フランス語の”gris”は灰色という意味ですが、”aille”は”焼いた物”を意味する接尾語です。つまり”グリザイユ”は”焼いた灰色”という意味合いです。日本では、ステンドグラスの絵付けというと”色を付ける”と思われがちですが、その専用絵の具の呼称からも分るように、原則として”灰色”または”茶色”によって絵を描くのが伝統的なステンドグラス絵付け技法です。赤や青や緑など、ステンドグラスの鮮やかな色は、材料となるガラス自体に製造工程で付けられています。
グリザイユの焼成見本です。
色数はこの程度、すべて茶色のヴァリエーションです。
青や白や黄色も見えていますが、青と白は近年開発された特殊な素材です。
黄色は、酸化銀により化学変化で発色する着色料で、グリザイユではありません。
では灰色や茶色で何を描くのか?ということになりますが、基本的なステンドグラス絵付けの考え方は、”描く”のではありません。
光を”遮断”し”留め”、”透す”ということを常に意識しながらグリザイユを用います。
伝統的なステンドグラスにおいて、ただ単に人の顔や衣服のひだや文字が描かれているように見えても、ステンドグラスの絵付師は、そこを通過する光の量や質を計算しています。名作と言われるような古いステンドグラスは、いずれもその独特な絵付け技法において卓越した技を残しているものばかりです。
この作品は、世界遺産に認定されているシャルトル大聖堂(フランス)のステンドグラスです。
磔刑に処されたキリストを十字架から降ろしている場面を表す13世紀の作品です。
望遠鏡で仔細に観察すると、日本の浮世絵にも匹敵する踊るように活き活きとした描線に感嘆させられますが、さらに注意深く観察するなら、それらの描線を引き立てるステンドグラス特有の絵付け技法にも気がつくかもしれません。
しかしステンドグラス絵付けの本当の効果は、作品が位置する窓の方位や、高さ、その地の気候などをも考慮することによって発揮されるものです。
またその最も大きな魅力は、季節や時刻や天候によって変わる表情の豊かさですが、いずれも写真では確認できないのが残念なところです。