14日は、山形県米沢市から福島県飯坂町を通り宮城県角田市に到着しました。
角田市に来た理由は、そこに住む陶芸家の池田匡優(イケダマサユキ)さんにお会いするためです。池田さんは福島原発災害の後、自宅敷地内に”エミシ窯角田市民放射能測定室”を設け、地域の放射線量を積極的に測定しています。
実を言うと、僕たちも仙台港に到着したときから、持参の測定機器を用いて適宜放射線量を測定しながら移動していました。
これは小野さんが所有する最も簡易と言ってもよい小型の機器です。
地上1メートルの空間放射線量を約5分間測定し、その平均値を表示する仕組みです。
表示の単位はマイクロシーベルト/時(μSv/h)ですが、これが何を意味するかにつきましては後述いたします。
14日の夜は、池田さんのお宅に泊めていただきました。奥様の用意してくれた牛タンをつまみ鍋を囲んでの話は当然原発事故のこと、放射能のこと、そして今の生活のことでした。池田さんの口から出る話はすべてショッキングであると同時に、勉強になり考えさせられる内容でして、僕たちのように一週間だけこの地に滞在する人間とは厚みが違うと思いました。
被災の瞬間から非常事態に直面し、3年9ヶ月を経て今があります。今現在の状況だけを聞けば、僕たちも何か力になれそうな気がしないでもないのですが、事実が時間の経過と共に複雑に絡み合って積み重なり、僕たちはその堆積を経験していません。
池田さんが強調していたのは、正確な放射線量を測定することです。
そのためにいくつもの機器を用意し、中には百数十万円もする高価な機器もあります。
自分が取り巻かれている状況を正確に把握する必要もあるでしょうが、行政を相手にするときに測定値の信頼度が問題になるようです。
池田さんは地元の公園とその周囲を測定しましたが、異常に線量の高い場所があるにもかかわらず、それを指摘し除染をお願いしても行政は全く相手にしてくれなかったそうです。より精度の高い機器を使用した測定を行い、再三役所に出向いて交渉しているものの最近では”うるさい奴”扱いされつつあると嘆いていました。
ー続く