雑記帳

愛着心を捨てるーその7-

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留学浪人中に描いたガラス絵の1枚には、日本の受験体制や画壇の呪縛から逃れて自由になった喜びと同時に、一人きりで外国へ行くことへの決意や情熱や不安のようなものを感じます。そのころ傾倒していた岡本太郎がどこかに入ってる気がしますね。

このガラス絵にも結構な愛着心があるのを自覚します。習作などは他人に見せるべきものではないし、いつかは捨て去るべきものと思いますが、これはまがりなりにもひとつの作品です。しかも自分史の中では道標とも言える位置づけだから、もうしばらくとっておくことにしましょう(捨てられない人間の典型的言い訳ですが)。

う~ん、しかしこの愛着心というやつは結構やっかいです。仏教の世界では、愛着心は煩悩の一種であり、瞑、痴と共に三毒のひとつとされ、苦しみを生み出す原因と説かれています。さらに心理学の世界に行くと、愛着心とは幼児と母親の情緒的な結びつきを指す言葉とされており、つまり幼児と女性の特権でありますから、いい年をした大人の男が口にするものではないわけです。

数年前ちょっとブームになった”断捨離(だんしゃり)”は;

基本的にはヨーガの行法、「断行(入ってくる要らない物を断つ)」、「捨行(家にずっとある要らない物を捨てる)」、「離行(物への執着から離れる)」という考え方を応用して、人生や日常生活に不要なモノを断つ、また捨てることで、モノへの執着から解放され、身軽で快適な人生を手に入れようという考え方、生き方、処世術である。単なる「片づけ」や「整理整頓」とは一線を引くという。
ーWikipedia より引用ー

僕の身辺整理を、単なる”片づけ”から”断捨離”に格上げしようと目論んではいますが、ブログに画像を載せたりなんかして、愛着心が断ち切れてない証拠でしょうか。

ー終わり

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