「街景」を見て最もショックだったのは、僕自身のオリジナルと確信していた発想や感性が、他の誰かと共通するありふれたものだったという事実を突きつけられたことです。しかも自分の作品の方が後にできたのなら、文句なしに”二番煎じ”ということになります。「街景」の作者マスラー氏が僕の作品を見たなら、「自分の真似をしたな」と考えることでしょう。
その後東京に戻った僕は、最初の落胆からは立ち直りましたが、やがて盗用疑惑に怯えるようになりました。盗用ではないということを自分自身が知っているとしても、それを他人に証明する手段がありません。僕の作品を制作した時期や、僕が北海道出身であるということも、かなり不利な要素と思えました。
「Vibration」は、すでに写真になって展覧会のカタログや業界誌などにも掲載されてしまっていたため、デザインの類似を誰かに指摘されることはないかと怖れていました。
そんな精神状態が長く続いたある日、僕はふとある可能性に気がつきました。
”僕は「街景」の写真をどこかで見たのではないだろうか?”
”賞を獲った作品だし、色々な雑誌に写真が載っていただろう、それを目にしていたかもしれない、いや、したはずだ”
”デザインが類似していたのは偶然ではないんだ”
と、まるで自分の盗用を認めるような思い付きですが、そう考えると何故か気持ちが楽になりました。
真実は今でも分かりませんけれども、その後大伴氏の他に疑惑を指摘する人はおらず、マスラー氏から訴えられることもなく30年が過ぎましたから、もう時効でしょう。今改めて二つの作品を見比べると、総合的なデザインとしてはさほど似てないような気もします。マスラー氏の作品から溢れ出る作家魂に過敏に反応した僕の誇大妄想だったかもしれません。
さてそれにしても、これだけの騒ぎの渦中にある佐野研二郎氏の心臓の強さには驚くばかりです。ほとんど誰にも問題にされていない盗用疑惑に怯えた僕のチキンハートとは比べようもありません。「デザイナーとして、パクるということをしたことが一切ない」と断言しています。これもまた別の意味の誇大妄想じゃないとよいのですが。