雑記帳

江差の繁次郎

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北海道にも桜前線がやってきて、暖かい日が続いています。
気持も何とはなしに浮き浮きとしてはいるのですが、僕の周りからは相も変わらず暗い話が聞こえてきます。
会社の倒産や、借金が原因の離婚、リストラに進学断念、過労で入院など、国政に携わる人々はこの現実を本当に知っているのだろうかと疑いたくなります。

そんな中で少しだけほっとする明るいニュースがありました。
北海道の日本海側沿岸の「群来(くき)」が、記録が残る1954年以来最多になったとのことです。「群来」は北海道以外の地域ではほとんどなじみのない言葉でしょう。PCの変換文字には登録されていませんし、僕の持っている広辞苑第三版にも載っていません。
「群来」とは、ニシンの大群が沿岸に押し寄せて産卵・放精し、海を白く染める現象のことを言いますが、今年はすでに石狩市と小樽市だけで9回を記録したそうです。漁獲量も増えて、3月までに北海道全体で1900トンを水揚げしました。1962年以来の記録です。
しかし1890年代後半には、道内全体で100万トンを水揚げしていたそうですから、今では想像もできないほどのすさまじい漁獲量だったわけです。

道南の日本海沿岸の町江差も、かつては「江差の春は江戸にもない」と言われるほどニシン漁で賑わっていました。そんな時代、江差に実在した繁次郎という人物の話は、時代の一面を生き生きと今に伝えてたいへんに興味深いものです。
繁次郎はトンチ名人と言われていますが、一休さんのトンチなどとはかなり趣が違います。繁次郎は、なまけもので酒飲みで嘘つきで、結構困りものの人間だったようです。しかし、権力者や金持ちなど、周囲の人間を手玉にとって陽気にたくましく世間を渡り歩く様は、鬱病になりかかってる多くの現代人にとって励みになりそうです。
例えば、家に押しかけてきた借金取りに向かって、腹に乗せた椀を見せ「俺の返事はこれだ」とおおいばり、「ハラワン」という駄洒落ですが、このくらい肝が据わっていれば督促状に脅えることもないでしょうに。

http://www.hokkaido-esashi.jp/shigejiro/top.htm

繁次郎のたくましさを受け継いでいるらしい江差町の人々は、今も頑張っています。十数年前から取り組んでいる漆塗り工芸は、本場の輪島市で継続的に研修を受けており、地場産業となりつつあります。

http://homepage1.nifty.com/esashi/urushi/index2.html

blog-esashinuri.jpgもう1年も前のことになってしまうのですが、江差の漆塗りに関わっておられる方にギャラリー村岡でお会いしまして、額縁をいただきました。
古い民家の木材を加工したものだそうです。
それにタンポポを絵付けしたガラスをはめ込んでみました。

ステンドグラス 江差塗り タンポポ

折りよくギャラリー村岡にて、江差塗り工房新作展「新しくなった古さ」が今月末まで開催されます。

http://blog.gmuraoka.com/2009/04/post-23.html

僕の展覧会は15日までですが、上記の作品は残しておきます。
是非ご覧ください。

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