川風便り

キスリングの灯ーその17-

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ほとんど諦めかけていた「キスリング展」開催だったが、5月25日の緊急事態宣言解除を受けて、翌26日から急遽開催されることとなった。
ショップの設営は開催前日、午後からキャンドルホルダーを搬入し、展示作業もある程度は自分でやってよいと聞いていた。

展示

作品展示というのは結構難しいものだ。個人の催しならば好きなように展示したらよいが、大きな催事となるとそうはいかない。まず主催者がいて、後援者や協力者もいるし、広告や販売など各部門の責任者もいる。それぞれの立場で意見や要望がある。
現場では客の動きを予測し安全に配慮しなければならないが、今回は特にコロナ感染の防御システムを考える必要があるだろう。

こうした複雑な状況の中に入るときの僕の取るべき姿勢は決まっている。
”できる人”に任せるのだ。投げやりになっているわけではない。
そうすることがベストだと思うから。

作品制作に関してなら、持てる能力の限りを尽くして作り上げる自信はあるが、宣伝とか販売ということになると極めて無能だという自覚がある。そのことは、これまで40年近く続けてきた作家活動において幾度となく証明してきたから間違いない。
この種の人間が、ただ年齢がいってるというだけで余計な口を挟むと、現場が混乱し迷惑をかけることになるだけだ。
幸いにも今回は、協働者であるキャンドル作家米澤純さんが”できる人”だったので、僕の作品の展示から販売の用意まで、すべてをてきぱきとこなしてくれた。感謝!

主催者が用意してくれた照明付きガラスケースが煌びやかに光っている。

キスリング展

一人の画家について、これほどたくさんの予習をしてから展覧会を見たことはない。
予習をする前に僕がキスリングに対して抱いていた印象は、「他の画家の真似をするのがうまく、女好きで世渡り上手」と、あまり芳しくないものだった。
メランコリックな雰囲気の人物画は好きだったが、当時流行った表現スタイルのひとつだろうくらいに思っていた。

しかし、彼の波乱に満ちた生涯を知り、時系列にそって並べられた絵画の群れをゆっくりと辿っていくと、彼の本当の姿が見えてくる。
キスリングは、「絵を愛し学び、とどまることなく描き続け、人を愛し人情に厚く、世界を愛し受けいれて、人生を楽しみ生き抜いた」のだと思う。
是非、実際の絵からそれを感じ取ってほしい。

ー続く

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