川風便り

懐かしき庭-その2-

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ジャルダンノスタルジックからの連絡は、「19世紀英国スタイルパネル」を大層気に入られたお得意様のご夫婦がいらして、同様のものをご所望とのことだった。

難しい注文

自分の作品を気に入ってもらうことは文句なしに嬉しい。人は自分の好きなものの前に立つと、自然に笑顔になる。その幸せそうな笑顔を見るのが嬉しくてこの仕事を続けてきたと言ってもいい。
だから仕事を依頼されたら決して断ることはない、どんな仕事でも喜んで引き受けるのだが、唯一わずかに躊躇してしまうのが、自分の作品のコピーだ。
これまでにも何度か同様の依頼を引き受けたことがある。しかし結果があまり芳しくなかったことがほとんど。その理由は唯ひとつ、僕が注文通りの作品を作らなかったからだ。
自分で作ったものなのだから簡単にコピーできるだろうと大抵の人は思う。それはほぼ正しい認識で、以前に一度作ったものなら技術的にはすでに経験済みのことばかり、手順通りに作れば同じものができるだろうと思うのは当然のことだ。だが、難しいのは制作技術でも手順でもなく、制作時の心の持ち様を以前と同じに保つことだ。これが案外難しい。

過去に作った自分の作品を見て一番最初に目につくのは、その作品の欠点だ。
”欠点“と言うと語弊があるかもしれないが、「こうすればもっと良くなったのに」とか「こういう表現もやってみたかった」とか、「今の自分ならもっと上手くできる」といった気持ちがコピー制作過程で必ず現れる。その気持ちは次第に大きく膨らみ始めて、ついには制御不能に陥り、「こうした方が注文主もより喜んでくれるに違いない」という我田引水的妄想に近い確信を導き出す。
その結果、自信満々でお披露目した完成作品が、注文主から思いもよらぬ言葉を浴びせられる羽目になったことが一度ならずある。曰く「注文した作品と違いますよね」「こういうところが気に入っていたのに、それがなくなってる」「なんか雰囲気が違うんだよなあ~」。
言われてみれば全くその通りで、その場で正気に返った自分の目にも同じものが見えた。

ステンドグラスは決して安くはない。たまたま立ち寄り先で作品を目にし、高いお金を出して”これと同じものが欲しい”と希望するような注文主は、それを作った人間以上に作品の隅々まで鑑賞し、理解し、記憶し、愛しているのだ。自分の娘に対するそれとは違う、別の種類の愛なんだと思う。

歳の離れた妹

とは言え、注文主の心情を尊重するあまり、古いものをただそのままコピーしようとすると、どこか生気を欠いた冷たい作品ができてしまうのは間違いない。それはどうしても避けたいことだ。だから単なる”クローン”ではなく、”歳の離れた妹”と言えるくらい独自の命を吹き込んだ作品を目指したいと思う。
注文は喜んでお受けしたが、”全体の雰囲気を変えない程度の変更”を了承していただいた。その方が自分の気持ちが楽になって、のびのびと制作できそうな気がする。

制作はすでに始まっている。
製図を終え、型紙カット~ガラスカットまで終わったところ。

ここまでの作業に興味のある人もいるかと思うが、今回その説明は省略する。
このブログシリーズでは、主に絵付けの説明をしたいと思うから。

―続く

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