川風便り

懐かしき庭-その9-

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物体を高温で熱するという作業には、時折想定外の変化が伴う。
陶芸などにおいては、しばしばその結果が作者の期待するものと違ったりすることはよく知られていることだろうと思う。
ステンドグラス絵付けの世界でも同様のことは起きるが、大抵は許容範囲内のことであり、陶芸と違ってやり直しができるため、2回~3回と焼成を重ねていく過程で修正できることも多い。しかし今回の変化は「失透化現象」というもので、許容範囲を超えていた。

失透した紫色のガラス。

紫色がエッチングで消えて完全に白くなった部分は失透していないから光が透過している。

絵付けとは?

ステンドグラス絵付け技法の真髄を、端的に、しかし少々理屈っぽく言うなら”ガラスを透過する光の調節をすること”、に尽きると思う。今に残る伝統的絵付けの多種多様な技法は、西欧の絵付け師たちが数百年かけて積み上げてきたものだ。
例えば”モドゥレ(模形)”という技法は、光を透過しない濃い線の両横に薄い調子の線を添わせることであり、そうすることによって強い光の回り込みを防ぎ、濃い線を遠くから見ても本来の太さに見せることができる。
また、”カージュ・ア・ムーシュ(蠅網)”という技法は、細い線を格子状に描くものだが、その線の濃さや太さ、間隔を変えることで光の透過量を調節することができる。この技法で大切なのは、格子の隙間から生の光が透過するということだ。

というように、ステンドグラス絵付けというものは光がガラスを透過することを前提として成立しているものだから、その光が透過しないということは”大問題”なのだ。

失透化現象

ガラスは固体と液体、両方の性質を併せ持った不思議な物質だ。液体のように不安定であるために、高温にさらすとより安定な状態になろうとして結晶を形作ることがある。そのことを物理学的には「結晶化現象」と称するが、我々のように見かけを問題にする分野では「失透化現象」と呼んでいる。
フランスやドイツのガラス工場で生産されているアンティークガラスは、基本的に絵付け用として販売されているので再加熱して失透するということはあり得ない。
それではなぜ今回その現象が起きたのか?
いろいろ実験を繰り返してやっと分かったことは、紫色被せガラスのエッチングを施した部分に絵付けをした場合にのみ起きる現象であることだ。このことはおそらく工場でも把握していないのではないだろうか。

写真ではよく分からないかもしれないが、左が失透したガラスで右は失透していないガラス。

近年、環境保護のために多くの化学物質が使用禁止とされており、世界中のガラス工場がその規制対象となってきた。それでも何とか代用できる物質をみつけて同様の製品を作る努力をしてきている。
そのために見かけは同じでも、以前とは組成が異なるガラスがある。今回の紫色ガラスもそのひとつであり、昔のガラスとは性質が違うことはエッチングをした時点で気が付いてはいた。しかし失透現象が起きるということは全く予測できなかった。
ステンドグラスの絵付けは、勉強を始めた時から数えて44年間やってきたけれど、アンティークガラスの失透化現象というものを見たことがない。今回が初めての経験だ。

この事態に何とか対処しなければならないが、紫色の被せガラス(エッチングに使用する二層ガラス)は現在この二種類(青紫と赤紫)しか手に入らない。エッチングはどうしてもしたいから、そうなると絵付けの調子付けをしないことにするという結論しかない。
15年前の作品に比べたら少しすっきりとした明るい花になるだろうけれど、極端な雰囲気の変化はないし、作品の質が落ちるということも決してない。”姉”とはちょっと違った雰囲気の”妹”が誕生することになる。
表現を変えざるを得ない事情を注文主のMさんにご了承いただいてから、制作を続行したいと思う。

ー続く

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