フッ化水素酸によるガラスのエッチングを初めて体験したのは、パリの工芸学校においてでした。
入学して半年後くらいに、課題のメダイヨンパネルの一工程として習うのですが、そこでは”白抜き”という一番単純な作業をするだけ。以後、卒業までの3年間で、エッチングに関してそれ以上の技法を教わる機会は全くありませんでした。
課題のメダイヨン部分のデザインは自由でしたが、古典的なステンドグラスを参考にして、こんな感じのメダイヨンをつくりました。(現物ではない)
そのときの助教授(現教授)からは、もっとオリジナリティーのあるデザインを創作するべきと助言されました。しかし僕は、過去の人間がエッチングのデザインについてどう考えていたのか、同じものを作ることで学びたいと考えていたので譲りませんでした。
フランスにいる間に誰かにもっと教わりたいと思いましたが、エッチングに詳しいと思われる作家はどこにも見当たらず、文献を調べても技法に関する記述は皆無でした。
ヨーロッパ各地のステンドグラスを見て回りましたが、エッチング技法が使用されている例は非常に少なく、使われていても常に絵付けの補助的役割しか果たしておらず、ほとんど勉強にも参考にもなりませんでした。
帰国後間もなく、縁あって絵付けの教室を任されることになったとき、経営者から「必要なものは?」ときかれ、僕は即座に「電気炉とエッチングの設備」と答えました。
「電気炉は当然必要だろうけど、エッチング設備なんているの?後でもいいんじゃない?」という疑問の声に「何を言ってるんですか!電気炉なんか後でいいから、まずエッチング設備です!」ということで、幹部スタッフ総動員、エッチングの作業箱を自力で作ることとなりました。
30年前のことです。
ー続く