雑記帳

ニャン・ニャン・ニャン

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昨年3月、大震災の1週間後のことですが、工房横の駐車場で1匹の猫が血だらけで倒れているのを発見しました。車にはねられでもしたのか、片方の眼球らしきものが顔に垂れ下がり、息も絶え絶えで今にも死にそうに見えました。
ちょうど火曜日の教室の日の朝のことでして、生徒さんも皆動物好きの人ばかり、猫をダンボール箱に入れて工房に持ち込み、最後を看取ってやろうということになりました。

ところがその猫、なかなか息を引き取らず、それどころかダンボール箱から這い出して必死に逃げようとするのです。「助かるかも?」ということで、近所の動物病院に連れて行ったら、見事生還、2週間後には退院して工房の猫になりました。

1番喜んだのは三女、その可愛がり様は猫が可哀想になるくらい。
2年前に、姉妹のごとく共に育った犬のハルが逝ってしまったので、心の中に大きな空白ができていて、それを充たそうとしていたのかもしれません。

三女が猫に付けた名前は「ニャンコ先生」、それは変だと僕が付けたのは「ニャン五郎」、生徒がまた別の名前で呼んでいたりしましたが、そんなことにはお構いなく、しばらくの間猫は工房で幸せそうに暮らしていました。
                                                          

お気に入りのプラケースの上で熟睡中。

しかし呼び名がどれかひとつに定着するほどの時間はありませんでした。


                                                                                                

猫は脳に損傷を受けたらしく、日に何度も発作を起こして糞尿を垂れ流しました。
そのときひどく体を汚すもので、工房の大きな作業用流し台に猫をのせて、きれいに洗い流すのが三女の日課でした。

その様子を小学校の図工の時間に木版画にしました。
片目のない猫が水浸しにされ尻尾の毛を逆立て抵抗しています。
                                                                                               

怪我の後遺症は密かに進行していたようで、夏の終わり頃、発作が激しくなり再び動物病院へ、しばらくそこで頑張ったものの、ついに帰らぬ”猫”となりました。

わずか4ヶ月ほどで僕たちから去っていった命でしたが、その姿は三女の心の底にしっかりと刻まれたようです。

                                

                                                               

僕も「PEACE」シリーズのひとつとして、ちょっとだけリアルなネコをつくってみました。

目は怪我の前の様子に戻してあげました。

                                                                                            

きょう2月22日は、”ニャン・ニャン・ニャン”の「猫の日」だそうです。
1987年に社団法人ペットフード協会が制定しました。


                    

                                                                                                                                             

ついでにイヌの「PEACE」もつくりました。

こちらも少しだけリアルな感じで。

                                                                                  

「犬の日」も猫と同時に制定されていますが、”ワン・ワン・ワン”で1月11日かと思ったら、なぜか11月1日でした。

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