雑記帳

手を抜かない

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最近堅い話が続きました。
原発を阻止するために一人ひとりが声を上げていくことも大事だし、大震災の被災者に手を差し伸べることも忘れてはならないと思います。
しかしその一方では、自身の日常生活も確実にこなしていかなければならないわけでして、これがまた結構大変です。やるべきことを全部やろうとしたら1日24時間ではとても足りません。大切なこととそうでもないことを区別していく必要があります。

毎日の生活の中で何が一番大切かといえば、やはり食事でしょう。他者の命を奪い自分の命に変える摂食の仕組みは、人間がまだ微生物であった時代からDNAに刷り込まれており、生き物の宿命とも言えるものです。その宿命にとりわけ僕は支配されているらしく、毎回の食事には人並み以上の気を使っています。

食事に対する僕の過大な情熱に驚いた人は、”グルメなんですね”と言いますが、いわゆる”グルメ”とはちょっと違います。
安い米を美味しく食べるために焚き方を工夫します。ジャガイモを茹でるときも同じです。インスタントラーメンを買うときは、スーパーの売り場で本当に食べたいと思うものをとことん選びます。最近500円ワインにはまってますが、500円で1番美味しいと思えるものを酒屋やコンビニを何軒も回って捜します。外食をするときには、予算内で満足できそうな店をかなり悩んで選び、時にはランチといえども遠出を厭いません。

高級な食材や高い店の料理がうまいのは当たり前、そういうものを食べつけている人が”グルメ”と呼ばれるなら僕は資格無しです。個人的な事情により安いもの限定の毎日の食事ですが、出来る範囲で手を抜かないようにしています。
生き物にとって最も大切なはずの食事に手を抜く人間は、ものつくりにおいても同じように手を抜くでしょう。まあこんなものでいいかとか、この値段なんだからこの程度にしとけとか言って、あらゆることを中途半端に終わらせてしまいます。味に鈍感でこだわりがなければ、見るもの聞くものにも、自分が作り出すものにさえ鈍感でこだわりがなくなるのは当然のことのように思えます。

先日展覧会の搬出で行った函館で、久しぶりに朝市で朝食をということになり、妻と二人30分ほど歩き回った末、やっとのことであまり観光化していない食堂を見つけました。

市場の2階、広いけれど飾り気のないごく普通の食堂で、二人とも生ちらし丼に決めました。

味噌汁(100円)も欲しいねということで注文したら、「付いてますよ」とそっけなく言われ、他に漬物も付いてこれで500円なり。

ネタは新鮮、ご飯も美味しく、味噌汁のワカメがプリプリ、満足の一品でした。

                                                                                                                       
今日は旭川からの生徒が来てまして、遠くからお疲れ様ですという意味を込めて、僕が昼食を御馳走することにしました。


献立は、とろろ汁、卵焼き、きゅうりとかぶの浅漬け、かぼちゃコロッケと、シンプルでした。

コロッケ以外は僕の手作りですが、とろろ汁は30数年前にステンドグラスの先輩平山健雄氏にパリで教わって以来僕の定番料理となっています。
北海道の人間にはあまりなじみがないのですけれど、気に入っていただけたようです。

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