雑記帳

未来の二つの顔

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近頃、”ドローン(Drone)”という言葉が俄かに注目を集めています。
僕がこの言葉を初めて知ったのは、 ジェイムズ・P・ホーガンのSF小説「未来の二つの顔(The tow faces of tomorrow)」の中です。今から32年前、1983年のことになります。(米国での出版は1979年)

 

当時は初めて聞いた言葉だったので、ホーガンの造語かと思っていたのですが、それ以前から米国では無人航空機の呼称として使用していたようです。

近年になって、アフガニスタンやイラクの戦争に使われた飛行機型兵器がドローンと呼ばれているのを知りました。

ホーガンの小説に登場するドローンは、人工知能の末端機器として動作するものであり、飛行するのみでなく様々な形態があります。

人工知能の手足なのですが、それぞれに固有の意思があるかのように行動します。

 

対して無人航空機のドローンはリモコン式の遠隔操作であり、目標に向かって一直線に飛んでいく姿を見ると、ホーガンのドローンとは全く別物の感がありました。しかし最近話題のドローンは、その外観や動き方、ある程度自律的に動ける性能が、ホーガンのドローンを思い出させます。

ホーガンの小説は、人工知能の重要性と、その二面性、つまり利便と危険についてを宇宙ステーションを舞台にしてスリリングに描いています。それは正に、近年人工知能について語られている内容と同一であり、今現在ドローンについて言われ始めていることとも完全に一致しています。ホーガンの小説の結末は、コンピュータもドローンも、つまりはそれを使う人間しだい、人間がどうするかによって未来は二つの顔を持つだろう、ということのようですが、現実のドローン問題もまたこの結論に落ち着くことはまず間違いないでしょう。

ひとつ違っているのは小説の舞台が2028年になっていること、つまりホーガンは50年後の未来を予測してストーリーを作り上げたわけですが、科学はより早く進歩しており、10年は前倒しして考えなければならない問題となったようです。

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