昨年の1月、20年来パリに住んでいた松谷芙美さんから突然の電話がありました。
「パリを引き払ってきちゃった。今、カグラザカに住んでるのよ」
帰国するかもという話は前から聞いていたので、さほど驚きはしませんでしたが、ちょっと引っかかったのがその住所。
「カグラザカ?」
僕の中学高校予備校時代は、ろくに学校にも行かず、古典から雑誌連載のエッセーまで読み漁り、文学青年を気取っていた時期でした。
時代に関わらず日本文学に度々登場するのが「神楽坂」という地名。
欠かさず読んでいた映画情報誌でも時折目にした記憶があります。
芙美さんからの電話で聞いた「カグラザカ」が、活字の「神楽坂」であることに気がつくまで十数秒はかかったでしょうか。
「神楽坂の文房具屋」、「神楽坂の旅館」、「神楽坂で打ち合わせ」、「神楽坂に缶詰め」等々、僕の頭の中には神楽坂にまつわる文章の断片的記憶が積み重なって、そこには何かがあるらしいという漠然としたイメージを勝手に膨らませていました。
しかし、飯田橋駅や近くの東京日仏学院までは何度も行っていながら、そのすぐ目と鼻の先に神楽坂があることを知りませんでした。
外堀通りに面した上り口。
坂をしばらく上って毘沙門天の正面の小路、というより隙間を右に入ると「和可菜」という旅館があります。
この旅館については「神楽坂ホン書き旅館」(黒川鐘信著)に詳しく書かれており、元文学青年としては登場人物の名前を見ているだけで嬉しくなってしまう一冊です。
文中最後の方に、ステンドグラスに関する記述があり、柴田長俊氏の逸話が紹介されています。
そこから左手に進み階段を降りたところにある小さな広場は「寺内公園」。
夏目漱石の「硝子戸の中」で、子供の頃の思い出話に登場します。
と、そこに猫が現れました。
「ニャー」と鳴いたのは、「私猫よ」と言ったのかも。
ー続くー