第11日目(10月28日) :
朝からパリ郊外ヴァンブの蚤の市へ。
骨董品やがらくた、実用品も売る雑多な市です。
最近は出店が増えて以前の倍くらいの規模になり、とても一日では回りきれません。
今回僕が買ったのはワインのコルク抜きと真鍮製の置物。
コルク抜きは、収集するということが苦手な僕の唯一続いているコレクションです。
19世紀から20世紀中頃までの品物です。
機能性より形が美しいものが好きですが、この二つは大抵一致しています。
真鍮製の小さな動物です。
もしかするとモロッコ当たりで大量に作られている土産品かもしれませんが、素朴で丁寧な作りと価格が気に入って買いました。
一個2ユーロ、5個で10ユーロと聞いて、思ったよりずっと安かったので驚いたのが表情に出たらしく、「じゃ8ユーロでいいよ」と言われました。
約800円です。
午後は、パリの中心シテ島に行って、サント・シャペルとノートルダム寺院を訪ねてみましたが、どちらも長蛇の列、恐れをなしてカルチェラタンまで歩いて逃げました。
カルチェラタンは、ソルボンヌ大学を有するパリの学生街ですが、その一角にサン・セヴランという小さな教会があります。
この教会の後陣に、ジャン・バゼーヌのデザインした一連のステンドグラスがあります。
バゼーヌはボザール派の中心作家で、僕がボザール(パリ美術学校)の学生だったとき、このステンドグラスの前で本人の講義を受けました。
「ステンドグラスの本質は光の調節である」ということを強く主張していたのを思い出します。
ついでにボザールの思い出話を少々。
僕がパリの工芸学校(通称メチエ)のステンドグラス科に入学したころ、デッサンの勉強がしたくて週に一度ボザールのデッサン教室にもぐりで通うようになりました。ここは出入りが自由で、時には観光客まで見物していたりするものですから、たまに抜き打ちの検査があって学生証を持たないものは退室させられました。僕は図々しくも一番前の席に陣取ることが多く、そこまでは検査の手が伸びなかったもので一度も退室させられたことはありませんでした。それどころか教授とすっかり顔なじみになって、頻繁に指導を受けられるようにもなりました。さらに厚かましくステンドグラスのアトリエにも週に一度顔をだすようになり、版画科や彫刻科の学生たちと知り合ってそこにも出入りしたりしてました。
2年後には、メチエの授業がない日はすべてボザールで過ごす状態になってました。
翌年メチエを卒業してからボザールの正式な学生証を手に入れ(同時に二つの学校の学生にはなれない)皆に見せ回ったら、「えっ!今までは何だったの?」って言われましたね。
アカデミックでありながらも自由な気風に溢れる良い学校でした。
結局僕は、メチエに3年間、ボザールには4年間通ったことになります。工房の名前を決めるときに、敬意を払って長く通ったボザールの名前を借りることにしました。
ー続くー