雑記帳

原子力発電所とは・・・-その3ー

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 「東京に原発を!」(1981年刊)という物騒な題名の本があります。
著者の広瀬隆氏はその中で、「原子力発電所が本当に安全というならば、長大な送電線建設コストのかかる地方ではなく、電力の大消費地である首都圏に建設してはどうか」と指摘しています。
2004年には「東京原発」(山本元監督)という映画が公開されました。思いつきで暴走するタイプの都知事が、新宿に原発を建てようと提案することで起きる騒動をコミカルに描いています。

どちらも皮肉たっぷりの逆説的表現なのは明らかですが、論理としては正しいのであって、東京に原発を建てられない理由を国も電力会社も正直に説明すべきだと思います。つまり、「原子力発電所は、普段から放射性物質を排出しており、事故の際には周囲に多大な被害を与えるため、人口の多い場所には建てられません」と言うべきなのですが、いまだかつてそういう趣旨の発言を聞いたことがありません。

僕が原発の反対運動に関わっていたころ、推進派の人たちから言われることはだいたい決まっていました。「あなた方は何故国の言うことが信じられないの?国が進めている事業を、優秀な科学者や大企業が責任を持って実行しているんだから信用しなさいよ。日本の技術は世界でも一流だし事故なんて起きない。安全と言われたら安全なんだ」と。
原発を誘致した福島県では、県知事が「安全だというから誘致したのに」と、この事態になって初めて国や東電への不信感をあらわにしました。

チェルノブイリの原発事故では、世界中に撒き散らされた放射性物質の量からその被害を各国の研究チームが予測しています。チームによって数値に大きな開きがありましたが、そのうちのひとつは「今後100年間で4000万人の死者がでるだろう」という結論を公表しました。
これが最も楽観的な最低限の数値でした。

1945年7月16日にアメリカが行った人類最初の核実験「トリニティ実験」以来、地球上では合計2100回ほどの核実験が繰り返されてきましたが、その放射性物質総放出量はチェルノブイリ事故とほぼ同じと言われています。
世界各地を長期間にわたり汚染し続けてきた核実験は核保有国の暴挙ですが、その総被害と原発一基の事故被害がほぼ同じレベルということは注目すべき重要な事実だと思います。
核実験を廃止しても、原発を稼動し続け、新たに作り続けるというのでは、人類に未来はありません。

ー続くー

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