雑記帳

幸せのひと時

9月5日、土曜日の未明、僕の親友松谷芙美さんが亡くなりました。 知り合ったのは1977年の夏、南フランスにあるニース大学のキャンパスでした。学生食堂の入口で、誰かにチケットを譲ってもらおうと待ち構えていた僕の前に現れたのが芙美さんでした。そ... もっと見る

タンポポの種

自分の一番古い記憶はなんだろう?と考えてみたことはありませんか。三島由紀夫は、産湯に浸かったときのたらいの縁を覚えていると確か書いていました。僕はそこまで古くはないけれど、多分3歳頃、タンポポの種を見たのが最初の記憶です。 親の話では、僕は... もっと見る

「街景」を見て最もショックだったのは、僕自身のオリジナルと確信していた発想や感性が、他の誰かと共通するありふれたものだったという事実を突きつけられたことです。しかも自分の作品の方が後にできたのなら、文句なしに”二番煎じ”ということになります... もっと見る

今月5日、東京五輪エンブレムデザイン盗用疑惑に対する佐野研二郎氏の記者会見がありました。そこでの釈明は、「類似とされている作品を見たことがなく、参考にもしていない」「自分のデザインは、世界に類のないオリジナルデザインである」と、ここまでは僕... もっと見る

北海道立近代美術館は、1977年の開館前からガラス作品の蒐集に力を入れていました。しかし僕は、ちょうどその時期日本を離れていたために、札幌出身でありながら近代美術館の何たるかを知らず、ほとんど関心がありませんでした。 初めて近代美術館を訪れ... もっと見る

1984年の秋も終わる頃、知人の紹介で故大伴二三弥(おおともふみや)氏を訪ねたことがありました。大伴氏は、自身がステンドグラスの作家であり職人でもありましたが、氏の主宰する工房からは現在日本のステンドグラス界で活躍する多くの人材を輩出してお... もっと見る

30年ほど前、ある著名な建築家にお会いしたときに、「ステンドグラスの世界は胡散臭いよねえ」と言われたことがあります。続いて「著作権の問題はないの?」と聞かれましたが、その頃の僕は不勉強で、一言も返答することができませんでした。 確かにその頃... もっと見る

僕に釣り方を尋ねてきた小学生の男の子ふたりは、それぞれが長さ1mくらいの木の枝を持っていました。よれよれに曲がった細い木の枝ですが、よく見ると先端に毛糸が縛り付けられています。短い毛糸が3種類ほど繋がって、枝と同じくらいの長さの紐になってい... もっと見る

釣りの心得

つい最近、工房から車で30分ほどのところを流れる川でヤマベが釣れることを発見しました。その川の上流にダムができて以来、ダムより下流には ほとんど魚はいないとされてきたのですが、長年釣り人が足を踏み入れなかったおかげで魚が戻ってきたようです。... もっと見る

毎年7月の第2土曜日曜に開催されるのは「えべつやきもの市」です。先週も天気に恵まれ、ボザール工房の近辺は年に一度の大賑わいでした。しかし僕にとってやきもの市より大切なのは、全く同時期に開催される札幌平岡高等学校の学校祭です。学校祭のイベント... もっと見る

本日から始まる狸小路での展覧会は、縁あって「cafeべりぃ」という喫茶店の一部をお借りすることになりました。   この店はNPO法人「とらいわーく」が運営しています。 「とらいわーく」は就労移行支援事業所であり、障害があって就職が... もっと見る

札幌市の観光地と言えば、今は大倉山や大通り公園が主流のようですが、かつては狸小路や二条市場に人が集まっていた時代がありました。観光というよりむしろ地元の人間が買い物を楽しむ場所でした。 僕の幼少期、母の実家が二条市場の近くにあり、僕と姉は頻... もっと見る

子供の頃、マンガ本の科学記事を読んで、地球の軸が公転面に対して傾いていることを始めて知りました。そのために季節によって昼の長さが変化すること、そのことが季節の移り変わりを生み出す理由であることを知ったときは、まるで自分がその事実を発見したか... もっと見る

能登半島は、その最先端の禄剛崎(ろっこうざき)までの富山湾側を”内浦”、そこから先の日本海側を”外浦”と呼んでいます。「能登半島徒歩で一周の旅」は、外浦に入った途端に天候の厳しさにさらされ、体力と時間と経済力の限界に達し、奥能登の最南端にあ... もっと見る

パリの美術学校(通称ボザール)へ通っていたときのことです。 ボザールは正門を入ると前庭があり、数十メートル歩いて正面玄関にたどりつきます。玄関を抜けるとそこは大理石の床にガラス屋根つきの 広いホールになっていて、学生たちはそこから1階や2階... もっと見る